日韓交流に参加して

                                    松尾 聡子(18歳)

 去年、私は韓国を訪れ、そこで一生忘れることのない宝物のような体験をしました。初めての海外旅行、言葉の壁にぶつかってしまったこと。今ではどれもみんな私の宝物の思い出です。言葉の通じない悔しさは、口では言い切れないほど腹が立つものでした。私は去年の日韓交流に参加していなかったら、この気持ちは味わえなかったでしょう。そして、この苦しい経験を元に、私は韓国語を勉強し始めました。講師の先生に丁寧に、解りやすく教えていただき少しだけ韓国語を理解することが出来ました。去年は、私と年の近い人は、英語の単語を繋ぎ合わして会話をすることができたけれど、小学年は、まだ英語が話せなくて上手く会話ができませんでした。しかし、今回は韓国語が話せたので小学生とも仲良くなり、多くの友達を作ることが出来ました。又、韓国の友達にも多くの言葉を教えてもらいました。
 今回は、三島港祭りの時だったので、踊を見に行ったり、浴衣を着て花火を見に行ったりしました。韓国の友達の浴衣姿はとてもきれいでした。そして「日本人になれたようね気がした」と、言ってくれて本当に嬉しかったです。花火を見たり、神社を歩き回ったり、とても楽しかったです。
 しまなみ海道に行った時、景色がとてもきれいで、みんなとても気に入っていました。その日はとても天気が良く、橋や島が、はっきりと見え、きれいでした。
 お別れ会は、悲しいものにせず、明るく楽しいものにしようと思っていたけど、やっぱり無理でした。去年私達が韓国から帰国時に、「来年、絶対会おう」と、指切りした約束が果たせた嬉しさや達成感・短い6日間で作った多くの思い出・韓国の人達と離れてしまう寂しさ、色々な気持ちが交じり合わさって、涙を止めることができませんでした。韓国の代表の人が日本語で言葉を言ってくれました。その言葉の中に「両国の言葉・文化は違うけれど、心は通じ合っています」、という言葉がありました。私も十分にそのことを感じていました。相手がずっと韓国語で話していても、なんとなく分かりました。心が通じ合い、相手の言葉を理解しよう、という強い気持ちがあれば、言葉の壁は関係ないと感じました。
 帰る前の日は、夜遅くまでいろんな話をしました。もうこの時は、全然言葉の不自由さを感じませんでした。怪談話をした時は、鳥肌が立ち、韓国には、日本とは違った怪談話があり、とても怖かったです。他には、修学旅行に言ったような感じで、恋話をしたりしました。本当に楽しくて、会話がはずみました。他にも色んな話をしたけど、やっぱり言葉は違っても、思っている事や考えている事は、同じでした。
 空港で、見送る時は、本当に離れてしまうのが嫌でした。窓ガラス越しに手を振っている時は、ガラスを割り、向こう側に行きたいくらいでした。
 私は、来年の冬、友達と韓国に行き、韓国の友達と再会することを約束しました。また韓国の友達も日本に来ることを約束してくれました。私達は、メールや手紙を通じて、一生の友人でいられると思います。
 去年も、今回も今までにない特別な交流になってしまいました。今、世間に騒がれている、教科書問題・靖国公式参拝問題などで、日韓が対立してしまい、県内でも多くの団体が、日韓交流を中止してしまい、私は、早く日韓の関係が良くなり、多くの人に、自分が体験し、感じた喜びや充実感を味わってほしいです。
 この貴重な体験を、私は、この先自分の夫・子供に話してあげたいと思います。
 又、この交流のお世話をしてくださった、四国政経塾の皆さんに感謝し、今回受け入れをしてくださった、各家族に感謝します。
 本当に有難うございました。
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