第 1 号
私が見た現在の韓国人と日本人

 縁があって韓国との交流を始めて、七年が経過しました。私の感じた韓国を紹介したいと思います。

 韓国に行く前の私の頭の中では後進国のあまりきれいでない町並みを想像していました。釜山市に入り車内から目に入ってきたのが、高層ビルの町並み、車の数が多いけれども、整備された六車線、八車線の道路、どれをとっても私の住んでいる四国よりは整備された町であったが、ただ余にも人が多いのと、車が多く、道路、町の清掃が出来ておらず、町が汚いという印象から始まり七年間、韓国のいろいろな階級の人々と意見交換をしてまいりました。一番感心したのは大半の人々が国を誇りに思い、自分の会社を自慢し、家族を愛している事でした。私は戦後生まれですが、戦前生まれの日本人は、今、韓国人が持っている国に対しての誇りがあったと思います。だから、敗戦後何もないこの国が驚異的な速さで先進国まで立ち上がれたのではないのでしょうか。それは一人一人が家族を思い、会社を良くする為、朝早くから夜遅くまで働き、日本国を世界一の国にしたいと思う気持ちが日本の先人達は持っていたからだと思います。
 今の日本はどうでしょうか、毎日、新聞、テレビのニュースで少年の事件、汚職、殺人、そして個人の権利が必ずしも正しいとは思われない様な事でも、それを美化する様に報道され、誰しもが個人だけの権利を主張すればそれが、あたかも正義を通している様に思われる時代の様な気がしてならない。
 今の日本がこのまま進み、個々に個人の権利だけを主張していると、親も、兄弟も、会社も、国もバラバラになってしまうのではないかと不安に思われる。
 一部で、教育問題、福祉問題、環境問題等々議論しているが、益々社会問題が増えてきている様に思われる。
 今の日本人に必要なのは人に対する思いやり、家族、会社、国に対して、個人個人の役割を果たしていく事が大事ではないでしょうか。それは、けっして個人の権利を主張するのとは違うと思います。個人が与えられたポジションの義務を果たす事によって、国、会社、家族がはじめて繁栄するのではないでしょうか。私が今一番感じる事は、韓国が戦後すぐの日本人の精神を持っている事です。韓国人の誰と話をしても必ず家族、会社、国のどれかの問題になります。彼たちは真剣に自分の国を心配しています。(日本人に何人の人が本当に国を心配しているか分からないけれど)それは、国があって自分達が幸せな家族、安心できる生活が出来ると心から思っているからだと感じます。私達の愛国精神で国の繁栄を考えながら働き続けると十年後には日本の国は韓国に完全に立ち遅れているのではないかと思います。それに、彼たちは同国人としての仲間意識が非常に強く、お互いに助け合う事が、日常当たり前のごとく行われている。今の日本はどうでしょうか、個人の権利だけを主張し全体の事が見えていないのではないでしょうか。少しは団体生活の中で犠牲的精神を持っても良いのではないでしょうか。もういい加減で、私の生活だけ、私だけという気持ちを無くさなければ何時までも、家庭崩壊、汚職といった犯罪が無くならないのではないでしょうか。私の知っている韓国のボランティア団体に入っている人数だけでも何万人も登録されている。彼たちは何時も自分達の廻りで何かあれば、自分が世界に対して何が出来るか考えています。これは今の韓国の教育の在り方にあると思います。韓国は詰め込み教育でなく、まず、低学年の時に人間教育を十分なされている。小学校を何校か視察をさせてもらいましたが、どの学校にも道徳の教室がありました。先生方にお聞きすると、その教室は人間として間違った事をしたり、言ったりしたら、生徒を教室に呼び徹底して教育するのだそうです。この子供達が大人になって国を真剣に心配して、自分達が働いているのは、自分の為、家族の為、会社の為それがしいては国が発展するのだと思っているから、何事にも真剣に取り組み、人の和を大切にしている、そんな国がこれから発展しないわけがないと思います。
 私たちも早く物余り現象の中で育ち、言いたい事が何でも通った時代を反省し、何処の国に行ってもお金の有る国の人と思われるのではなく、日本人は人間として素晴らしい人だ、そして素晴らしい国だと世界中から思われる国にしようではないか。その為には他人に対して、自分が何が出来るかもう一度考え直してみたいものだと思います。
 今の日本のままで、お金だけが外交をするのでなく、人と人の心通う人間味あふれる外交、また個人においては人から信頼される人に成らなければ、何時かは韓国だけでなく世界中からおいて行かれる国に成るのではと心配します。日本人よガンバロウ・・・・・
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