第 10 号
「今後の介護福祉のあり方」
 11月21日、四国政経塾は愛媛県知事婦人・加戸道子さんを講師にお招きし、「第一回福祉講座」を伊予三島市内の塾本部で開催した。婦人は日頃より「今後の介護福祉のあり方」について意欲的に活動しておられ、四国政経塾としてもこの問題についていく度かの勉強会をしていましたので今回の講座を企画するに至った。参加者は介護福祉従事者を中心に約70名であった。講座はまず最初に塾頭より、四国政経塾の趣旨・活動報告、今後の活動についての説明があり、婦人の挨拶、続いて現介護福祉医療の問題点について、わかりやすく述べられているビデオの上映に移り、最後に婦人より参加者への問題提起で締めくくられた。今回の講座の中に興味深い話があったので、それをまとめ私の意見として紹介しておく。ちなみにこれは四国政経塾が日頃より取り組む活動の根幹にある問題意識と合致する。 
 現在の介護医療のあり方を患者側の視点に立って考えた場合、そのシステムは往々にして「受身」であると言えよう。つまり、<患者は自らが自らの意思で主体的に行動するのではなく、医療側の意思などによって行動(生活)を管理されている>と、場合によっては言えなくもないのである。しかしながら実際問題、患者は介護を必要としている方々である。その中には、世間一般での自発的日常生活を医療側の管理なくしては営むことができない方々もおられる。一人では食事ができない方。一人では起き上がることもできない方。そして、相手に意思を伝えることさえもできない方。これが現状であろう・・・。このようなことからも、現在の介護医療が往々にして「規格管理体制」にならざるを得ない理由がうかがえる。
 講議の中に興味深い話が有った。長い間、管理規格体制下の介護医療を受けていた老人がいる。この方は一人ではろくに食事もできず、毎回誰かの手によって食べさせてもらっていた。万事がそうで、生活全てが「受身」であった。そんなこんなで月日は経つのだが、いっこうに改善の兆しは見えず、むしろ症状は悪化しているようにさえ見えた。ある時、ある介護士さんの意見により食事のとりかたを変えた。それまで「受身」であったものを、自らの意思、かつ自らの手で行うというものだ。当然、費やす時間は物凄く延び、看護する側にとっては手間も労力も増えてしまった。だが、辛抱強く見守っていく中で、この老人に変化の兆しが見え始めた。それまで受動的、かつ消極的だった生活が、能動的、かつ積極的な生活に少しずつだが変化していったのである・・・。つまり、介護される者が自立を目標に、介護する事が本当の介護ではないだろうか?今回のような問題意識は介護医療現場だけに留まるようなものではなく、現在の社会問題全ての根源にある問題だと考えられる。つまり、<個人が主体的ではない>がために形作られる現社会なのである。学校教育しかり、企業活動しかり、政治形態しかりである・・・。今回、加戸道子さんを講師にお招きしての「第一回福祉講座」を開いた中で、私なりに感じたことを一言でまとめて言い表すとするならば、次の一言が適当であろう。
 「人間の尊厳とは、集団社会を形成する上での個人の主体性ではなかろうか。」
 今の我々を取り囲む日常生活の中にも矛盾は数限りなく存在する。これらをしっかりと見つめ、そしてしっかりと考えてこそ、それをもってその個人を「尊厳ある人間」だとは言えないだろうか。
平成13年11月
目次へ