第 104 号
中岡慎太郎館訪問
 10月14日(土)、高知県・安芸郡北川村『中岡慎太郎館』を訪ねました。私は、何度か訪問した時がありますが、訪れる度に慎太郎の凄さ・行動力・偉大さには、感心させられると共に驚きです。

 慎太郎の、生い立ちについては他の塾生が記事を書いていると思いますのでそちらを参考にしていただいて、今回私が新太郎について感じたのは、慎太郎の年表に、

  ・1841年 天保12 4歳
   柏木村の松林寺住職禅定和尚から読書を学ぶ

  ・1844年 弘化元 7歳
   安芸郡野友村の漢方医・島村策吾に四書を学ぶ

  ・1853年 嘉永6 17歳
   このころ間崎滄浪に入門

  ・1855年 安政2 18歳
   田野学館にて武市半平太に剣術を学ぶ
   高知城下の間崎滄浪塾にて経史を、竹村東野塾にて南学を学ぶ

  ・1858年 安政5 21歳
   北川郷大庄屋見習いとして、病気の父小伝次に代わり、村政を司る

  ・1860年 万延元 23歳
   野友村庄屋利岡彦次郎の娘兼と結婚

  ・1861 文久元 24歳
   8月、土佐勤王党結成。慎太郎も加入する

とありますが、父・小伝次が病気で倒れたため、慎太郎は北川村に戻り大庄屋の見習いとして仕事を引き継ぎ、農民のために活躍しますが、郷里に帰ってきた慎太郎は父の言葉に従い、野友の庄屋・利岡彦次郎の長女「兼」を妻に迎え、慎太郎は、村人の生活がよりよくなるためにはどうしたらいいのかということを常に考えて仕事をしていました。北川村は山ばかりで平地が少なく、米をたくさん作るのが難しい土地でした。そこで慎太郎は、毎年一定した量の米が取れるように、田んぼを正しい形に整理したり、村人に家を建てるときの材木用にと「杉」の木や、魚が美味しく食べられることや、高く売れることから「ゆず」の木を植えることや、また北川村では地震や農作物が極度に不作で、食糧不足に苦しむ人々が多く、慎太郎は、自分の土地を売ってサツマイモを買い込み、村人達に配ったりしていたそうです。それでも食料が足りず、土佐藩家老の桐間蔵人へ土佐藩の米蔵に蓄えてある米をわけてもらうようにお願いしに行ったとのことです。その時、慎太郎が城下町に着いたのが夕刻だったため門番に「明日出直してこい」と言われましたが、慎太郎は一刻を争う重大なことと眠ることなく門の前に座り続け、夜が明けるのを待ち続けました、そんな慎太郎の思いが伝わり、明くる日桐間蔵人は米を慎太郎に分け与えたそうです。私は、慎太郎が自分の為でなく、村や百姓の事にこれだけ力を注げたのだろう・・・? ある記事に、土地を売りサツマイモを買い込み、村人達に配り村人を助けようとしたのは、大庄屋という仕事が、村人の生活を守り、平和な生活ができるようにする為、また農作物が不作で、藩に米をわけてもらうお願いに行った事などでは、慎太郎が学んできた事、村での生活から「民衆が安心をした生活をすることができて、初めて殿様や国というものが成り立つ」という考え方をもっていたそうです。又藩の役人と村人がもめごとを起こした時、「我々民衆がいてこそ殿様や国家というものが成り立つのだ。まして民衆の利益を無視した法律なんてあるわけがない。その法律を守って動かすのは人間である。役人がいちいち法律の細かいところにこだわって民衆を苦しめるは何事だ!責任は拙者が引き受ける」と役人を追い返した。そんな慎太郎の村人に対する姿勢は、村・藩を越え、国まで広がり、自分の村・民・百姓をいかにして安心して暮らせるようにできる。そんな慎太郎の思いが、幕末の志士として存在を生み出しました。

 私が慎太郎の凄さ・行動力・偉大さのなかで改めて考えさせられたのが、村・藩を越え、国まで広がり、自分の村・民・百姓をいかにして安心して暮らせるようにできる。そんな慎太郎の思いが、幕末の志士として存在を生み出した、とある。四国政経塾は、故松下幸之助氏の意思を引き継ぎ「地域から日本を変える」よりよい生活を提案し、地域を変える事によって日本を変える、慎太郎の安心して暮らせるのは国を変えることと、政経塾のよりよい生活をするには地域を変え日本を変えることとは、共通するように思う、そう考えた時、自分は慎太郎のように学力もなく知識も知恵もない、そんな自分に何が出来るのかと考えた時に答える事ができません。人それぞれ思うことや感じ方が違いますが、以前塾報の中で自分が書いた記事の中に「人を考えた時、塾で学んでいる、自分が変われば周りが変わり、周りが変われば、地域が変わる、自分自身を考えた時、人に対して自分という者がどうだろうか?損得を考えず、人を想う心を持っているだろうか?そう考えてみると自分自身がもっともっと変わらなければならない」と書いてありますが、慎太郎は、人を思う気持ちから、自分の村・民・百姓をいかにして安心して暮らせるようにできるかを、自分の損得ではなく国が変われば皆が幸せになる、それならば“国を変えよう”と行動したと、人それぞれ捉え方や感じ方が違いますが、私はそう感じました。

 私は塾でいろんな事を学んでいる中で、自分が変わっているだろうか?行動する事によって知識がつき、そして文章に残す、今までの活動や学んだ事を記事にして残している自分の記事を読み返していて、自分を考えてみたら余り成長していないように思えます、塾頭に教わった「文章を残す」この意味が分かったように思える、自分の文章を読み返す中で、あの時は、あのように考える事ができているのに・・・とか、あの時の自分はこうだった・・・とか、自分を思い起す事ができて、以前の自分と今の自分を考え直す事ができる、今後自分がいかに変わって行き、損得なく人の為に何が出来るか、また自分が変わる事によって周りがどう変わっていき幸せになるのか、今後塾において自分自身の目標として頑張り続けたいと思います。
平成18年10月14日
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