第 116 号
鳴門市・賀川豊彦記念館と大塚美術館
 1月14日、徳島県鳴門市にある賀川豊彦記念館を訪問しました。毎度の事ながら、私は賀川豊彦という人物の事を全く知らず、名前も聞いた事がなかったので、どんな活躍をした人なのだろう・・?と頭にはてな?がいっぱいの状態で偉人館巡りに参加しました。外見からしてかなり立派な記念館・・館内にはもちろん、賀川豊彦に関する資料がズラリと展示されていて(2階もありました)、私は、「目ぇ疲れそう・・」と少し不安モードでした・・。しかし!!せっかく来たのだからしっかり見て、勉強して帰らねば!!と気合いを入れ直し、賀川豊彦の幼少期から歴史をたどって行きました。
 豊彦は、大正・昭和期のキリスト教社会運動家で、終生清貧に甘んじつつ、労働運動、農民運動、共同組合運動、平和運動に先駆者的な役割を果たした人物です。また、「死線を越えて」などの自伝的小説も多数出版しています。彼は生まれた時には幸せな不自由のない生活だったようですが、幼少期に相次いで父母が亡くなり、徳島の本家に引き取られたものの愛情に恵まれなかったり、兄弟たちが離ればなれに暮らさねばならなかったり、兄の放蕩によって豊彦が15歳の時賀川家が破産したり、念願の神学校に入学したものの結核になったり・・と若い頃から苦労に満ちていた様子が伺えました。(思わず昼帯ドラマを思い起こしてしまいました。)なんだか幸の薄い人だわ・・と見ていましたが、しかし!!逆に考えてみると、彼にこの苦しい運命が与えられていたからこそ、彼は、宣教師マヤスと出会うことができ、洗礼を受けたことで、キリスト教における博愛精神のもとスラム街の貧困問題解決に取り組む活動や、その後の世界平和のための運動に重要な役割を果たすことができたのだ!と思えました。豊彦がマヤスと出会ってキリスト教の教えを伝えられていなければ、その後の行動はなかったかも知れません。人によっては自分の人生に何か影響をもたらしてくれる事があるので、人との出会いや縁というものは面白いし、重要だと思います。キリスト教の博愛の精神によって、自分も病気などで苦しい時期に神戸のスラム街に住み、不幸な人の救済に献身しようと決意し、努力した豊彦の行動は本当に素晴らしく、考えさせられることがありました。人のために、自らもどん底の立場に立つなどということは私にはできません。塾頭が言っていた「人に何かをしてあげるとき、必ず自分も0でいなければならない。自分の方が上なのだという気持ちで人と接してはいかないのだ。」=人と同じ立場に立って考えること・・というのは簡単にはできないなあ・・と思います。自分が苦しい時など、人の事なんて考える余裕なんてないし、どんどん落ち込んで、自分が誰かに助けてもらいたいと考えるものではないでしょうか?私の場合はそうなってしまいます。今の私と同じ年くらいの豊彦が貧民の救済に立ち上がったと思うと、自分はまだまだ知識も精神も未熟すぎる・・と感じずにはいられませんでした・・。
 豊彦の行動を読んでいると、困難な事があっても、熱い思いと行動を起こそうという強い気持ちがあれば、人の為にできること、救えることがあるのだと思わされました。うまくいかないことも本当にたくさんあって、時間もたくさんかかったようだけれど、さまざまなことを経験し、勉強し、あきらめずに努力を積み重ねた豊彦の行動には感動しました。豊彦の生き方を見て、不幸で辛くてツイてないと思っていても、そのことがあったからこそ、こんな素晴らしい事があったということもあると思うので、苦しい事や辛い事を経験することも大切なのだと感じました。辛いこと、苦しい事を知っておくことも生きていく上で大事なのだと思うと、人生に無駄なことはないです。また、出会いというのは大事だということも本当によくわかりました。私も政経塾で、塾頭や塾生の方達と出会えたお陰で、考え方が前向きになり(ちょっと前までは不安しかなかった)、人格も変わっているように自分でも思います。私にとって政経塾と出会い、勉強させて頂けているということは、本当にありがたいことです。だから政経塾で学んだ事を、将来、豊彦の様に、人のためや国の為に活かして行ける人間になっていきたいと考えています。日々成長していけるようにしたいです。
平成19年1月13日
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