第 122 号
県議会選挙戦を通じての反省
 先ずは鈴木県議のご当選おめでとうございます。そして、お世話になりました有権者の皆様には本当に厚く感謝申し上げます。
 さて、四国政経塾事務局長でもある愛媛県議会議員鈴木俊広氏の2期目となる愛媛県議会議員選挙の運動員として今回お手伝いをさせて頂きました。昨年9月より地元支援者を中心として毎月の会合を重ねる中で、私自身は事務局長という大役を担うことになりました。私が元新宮村議会議員であり衆議院議員小野晋也代議士の秘書として選挙経験もあることや、何よりも旧伊予三島の色に染まっておらず、しがらみが無いことが事務局長に選任された経緯であったのではないかと推察しています。この大役をこなせる自信などはありませんでしたが、とにかく何からも勉強であり、これを機会に色々な方とも知り合える良い機会であると思っておりましたし、鈴木県議には先の衆議院選挙で未経験の私に随分お力添えを頂いた恩義もあり、日頃より大変お世話になっておりました。何を置いても四国政経塾事務局長でもあることから、全面的応援体制で今回の選挙戦に臨みました。
 しかし、実際には県議選挙経験の一切ない私には、地元をはじめ鈴木県議が基盤とすべき伊予三島選挙区の人達との繋がりが乏しく、事務局長としての仕事に随分不安を抱えてのスタートとなりました。選挙態勢を整えるための組織作りにしても、人脈の無い私には大変荷が重い仕事でありました。それでも旧伊予三島市の方々を中心に、色々な方々にお力添えを頂きながら、なんとか告示日まで辿り尽きましたが、さあこれからと言う時に戦列を離れることとなってしまいました。身内の病状悪化や家庭的事情、新規に始めた仕事がこの時期に集中して重なったうえ、自分自身が所属する様々な関係機関との調整が全く取れなくなり、自分自身のスケジュール調整が取れず、混乱状態になってしまったのです。
 結局41日に身内の病状悪化を機に、少し休むことになってから、体調が一遍してしまいました。明日という日に物凄い不安感を覚え夜眠れない日が続きました。必然的に朝起き上がれず頭が重くめまいを起こすなど、最悪な状況が始まりました。病院で検査をした結果、これといった病状は判定できず、自律神経失調症で精神内科の先生には軽いうつ状態であるとの診断もされました。約一ケ月間家から出れない状態が続き、人と話す事に異常なほど緊張感が湧きあがる状態になりました。
 選挙戦もいよいよ告示に入り、事務的な調整が多忙になる時期に、体調を崩し戦列を離れてしまった私が、今回の選挙戦を反省できる立場にはないとは思うのですが、合併後の四国中央市としてのはじめての県議選挙であったことからも、選挙戦術や手法については、事務局としてどう進めるべきかを随分と考えさせられた選挙でした。現実的には県議本人が選挙戦術を一番よく知っているが故に、事務局サイドが先導して進めることが出来ませんでしたし、旧伊予三島・川之江・宇摩郡といった地域性も、合併後もまだまだ大きく影響していることも今回の選挙戦で十分思い知ることが出来ました。選挙区が広くなった分、今後は選挙自体のあり方も変わって行かなければならないのではないか?!
と漠然とですが思った次第です。
 選挙戦も終わり体調を崩してからは、塾頭をはじめ塾生の皆さんに随分助けられました。5月の連休には、善通寺や西日光耕参寺などに子供と一緒に連れ出して頂きました。当四国政経塾の支援企業でもあるナガイ健康回復センターでソフトカイロ治療なども受け、現在では日々回復していく実感を得ております。何を置いても仲間である塾の皆様には本当に感謝の気持ちで一杯であります。

 今回、これを機会に自分自身の反省として、体調を万全にした上で、全ての自分を取り巻く環境をきちんと見直したいと思います。今までは、優先順位を付けているつもりで、結局全て自分でこなそうと、無理をしていたと思うのです。実際には無理と言うより、無茶をしていたのではとも思います。また自分自身が八方美人となり、結局八方塞がりになったのでしょう。ご迷惑をかけた方々には大変申し訳なく思いますが、仲間を信頼し本当に必要なものをきちんと整理する良い機会ではないかと思っています。
 今後もいろんな人にご迷惑をかけていくと思いますが、仲間の大切さ有り難さを痛感し、これから仲間達と一緒に塾と会社を立派に成長させ、自分自身の目標に向かい邁進したいと思っています。
 現在まだ完全復帰という状況ではありません。迷惑をかけた分きちんと身体を整え、家族や仲間を気づかえることが出来るよう、そしてリーダーシップが取れる人間として成長して行かなければと思っております。まだまだ、気持ちが前向きにならない日もあり、日々波のある不安定な状態ではりますが、焦らずに自分自身の目標への計画を見つめ直したいと思います。
平成19年4月
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