第 123 号
高梁市探索 (PAPTU)
 平成19年5月26日(土)に岡山県高梁市へ出かけました。以前より高梁市活性化に協力依頼を頂き、岡山人間論ゼミの森氏のご案内で一度探索をしておりました。今回は純粋な観光客として余り予備知識を持たずカーナビも使用しないで、どのような観光が出来るかを実証に出かけました。岡山自動車道の加賀インターを降りて、しばらくは山間ののどかな農村風景を見ながら車を進めます。しばらく行くと道路脇に高梁市を見下ろす駐車場が整備されています。土台は石組みで立派な観光案内版が設置されていましたが、進入路する道路側から見えにくい位置に設置されていました。高台から市内を見下ろす展望台も相変わらず木で埋め尽くされて、市内を見下ろす事が出来ない状態でした。ほんの少し降りたところに、別の展望所が作られていました。ループ橋の下に休憩所なども整備されていて、以前より観光整備が進んでいる感を受けました。
 まずは市内に入り駅の観光案内へ向かい、駅構内でパンフレットを探し、駅の直ぐ横にある観光案内所にて観光名所をお尋ねしたところ、備中松山城とベンガラの吹屋ふるさと村が名所である旨のご案内を受けました。丁度昼時でしたので昼食が出来るところもお尋ねしましたが、高梁市にはこれと言った名物や食べ物がないとのことで、近くのホテルを進められました。案内所には町の食べ物屋さんのパンフレットが置いてありましたが、観光案内所では紹介されず、パンフレットは置いているけれど、お店と観光協会相互の情報提供の協力体制が取れていないのかな?と思った次第です。
 結局自分達で何かないかを探そうと、まずは案内所で紹介されたベンガラの吹屋ふるさと村へと向かいました。高梁駅から約一時間係るとのことで、車で現地に向かいましたが、道中に案内板が少ないことや、現地までの距離表示が少ないと感じました。途中山道に入るのですが、案内板が少なく、来た事のない人は少々不安に思うのではないかと思います。また、道路途中に結構長いブランターが整備されていましたが、残念ながら花が植えられてなく、雑草だけになっている姿が残念でした。季節の綺麗な花々が咲き、訪問客に視覚的な癒しを与えてくれる空間があればと思いますが、いかがなものでしょうか。また案内板が統一されていないので、見落としてしまいそうな小さなものもありましたから、一度行ったことのある私でも不安になりながら、しかし何とか現地に辿りつきました。ベンガラとは酸化鉄のことで、その用途は多種多様で染物や陶器など色々なものに使われていたそうです。その町並みはベンガラの赤褐色に染まった昔ながらの街並みで、レトロな雰囲気は満喫できます。現在もその街には人が住み、景観を保ちながら観光と共存している小さなエリアです。近くに現存し今でも使用している木造建築では、日本一古い小学校も見ることが出来ます。その横に以前中学校であった施設を利用したお洒落な宿泊施設もあります。町の中では当時の庄屋さんの御屋敷内を見学でき、休憩所やお土産屋さんもあります。ベンガラ館では、製造工程や陶芸教室がありました。陶芸教室は日曜日と火曜日の開催でしたので、実際には体験は出来できませんでした。
 次に向かったのが広兼邸です。ここも一度訪れたところですが、映画「八つ墓村」のロケ地となったことで、有名なところです。当時の大庄屋の豪邸は和風建築の素晴らしさを随所に見ることが出来き、中でもお城を想わせる石垣の造りは圧巻です。下にある駐車場売店では地元の方々が、地元で作った新鮮な野菜や農作物を販売しています。次に向ったのが笹畝(ささうね)銅山鉱跡です。構内は涼しく、当時の作業場風景を見ると、厳しい現場作業の様子を想像することが出来ます。
 吹屋ふるさと村を後にし、高梁市内へと戻り、先ずは頼久寺へ向いました。ここは瀬戸内観音霊場第13番でもあり国指定小堀遠州作の日本庭園があります。ここは何時来ても心落ち着く場所であります。古と変わらない風景をお庭から見ていると、殺伐とした日常を忘れられると思います。頼久寺の直ぐ横に、山田方谷(備中松山藩の財政を立て直した陽明学者)の生家跡があります。石碑でのみ伺い知ることができるのですが、この石碑も草に覆われていて、殆ど見えない状態だったのが残念です。市内の武家屋敷や商人の町並みを見て、岡山県一古い教会や、山田方谷が学んだ藩校「有終館」(現在は幼稚園として使用中)の石碑や町並み、備中松山城へ向う道中を途中まで見学し、この日の探索を終えました。

        

 岡山県高梁市は、以前にも探索に一度訪れた場所ですが、平成16年10月に高梁市、有漢町、成羽町、川上町、備中町が合併し、新「高梁市」となった人口約4万1千人の街です。個々の遺跡や文化財は非常に価値の高い物が沢山あります。現地を訪れれば一目瞭然なのですが、合併し高梁市の観光エリアが広くなったこともあると思いますが、旧高梁市の市内観光と旧成羽町の吹矢ふるさと村への移動時間に一時間係るのに問題があると思いました。収益や財政的問題もありますから一概には言えませんが、道中にこれと言った立ち寄る観光場所もなく、淡々と山道を移動することに、何か良い方策がないものでしょうか?!小京都と言われる場所として、萩や倉敷は一定の都市空間の中に古い町並みが保存されていますから、非常にアクセスが便利であることから考えると、現況の高梁市では周辺都市からの集客やアクセスに、やはり問題もあるのではないでしょうか?!観光地での高梁市のアピールには、まだまだソフト事業だけではクリア出来ない、ハード整備が必要であるのではないでしょうか?しかし、全国どこの自治体も財政で苦しむ中、観光事業に多額の予算を投入出来るとは思えません。商工会・観光協会や役所の方々のご苦労は容易に想像出来ます。2〜3度ほど町並みを見た私等がこのようなご意見を言うことは、非常に失礼かとは思うのですが、町の人々とのふれあいの中で、観光アピールに熱い思いを感じることが出来ませんでした。それは、やはり「人」だと思います。いかに素晴らしい文化財や名品があっても、それを熱く語れる人が、町に沢山いてほしいと思います。そして、高梁市の人自身が自信を持って紹介できる名所や名品が必要だとも思います。帰ってパンフレットを見ると、年間イベントも沢山あります。これら歴史的なお祭りとイベント的お祭りの融合も今後検討してみてはいかがでしょうか。また「ゆべし」や「神楽最中」・「鮎」など、全国的にメジャーではないかも知れませんが特産品もパンフレットには紹介されています。映画のロケツアーや観光マップ等視覚的資料は、きちんと整備されているのですから、あとは人を育てる必要があるのではないでしょうか?!山田方谷という偉人について顕彰し、研究していることは以前より聞いておりますし、展示会や勉強会などこれまでにも色々実施されております。後は、高梁市から第2の山田方谷を生出す必要があると思います。高梁市の財政だけでなく、人の心を動かす人間教育が必要ではないでしょうか?!時間の係る作業ではありますが、やはり教育ではないかと思います。最近信じられない事件が毎日のように起こっています。人の心が病んでいる証だと思います。儒学は今の日本の現代社会に必要な学問であると思います。高梁市から病んだ日本の心を変える偉人が誕生すれば、間違いなく各地から注目される町になれると思います。次回は観光とは、違う視点でもう一度高梁市内を探索してみたいと思います。
平成19年5月26日
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