第 128 号
九州=須永博士美術・作品館訪問/心の小径訪問
 7月27・28日、九州へ。今回は(株)テック仲通のビジネスの為、テック仲通・政経塾のスタッフ4名での訪問です。
 訪問日程は、1日目・27日=(株)テック仲通のビジネス展開のため九州・熊本市にある(株)エコルドへ訪問、2日目・28日=阿蘇郡小国町にある須永博士作品館・美術館訪問、臼杵市=臼杵石仏公園・公園周辺の深田心の小径へ訪問しました。

 27日、九州へは八幡浜から臼杵へフェリーでの移動、朝7時塾を出発しました。八幡浜9:40発=臼杵11:55着。臼杵から熊本市に移動ですが、出発前あらかじめネット上でアクセスなどを調べていましたが、臼杵から熊本までは、高速より一般道のR57号線での移動時間がかからない為、一般道を通ったのですが、結局熊本に到着したら、四国から熊本までの移動が10時間かかりました。タクシーの運転手さんに話を聞いたところ、金・土曜日は道が混むらしいです、確かに熊本市に近付くにつれ混みはじめ、市内に入ると歩いた方が速く思うほどの混み様でした。1日目の目的である、(株)エコルドへの到着は、3時過ぎには社へ入れますと返事をしていたのですが、結局到着したのが5時半頃でした。エコルド社への訪問はビジネスの為、石川社長と日林さん二人が商談する事ということで二人と離れ先にホテルへ入りました。最初の話では、熊本に到着したらせっかく熊本まで行っているので、石川社長たちが商談を進めている時間ではありますが、待っている時間がもったいないので、熊本城や水前寺公園など見学に行く予定でしたが、なんて言ったって熊本に着きエコルド社へ到着したのが5時半頃という事もあり、結局ホテルに到着したのが夕刻6時頃、予定をしていた熊本城・水前寺公園には行けず、同行していた大和田塾頭と私の(一応私もテック仲通の一員ですが・・・)1日目は熊本までの移動時間だけだった・・・・。道中運転してくれた日林さんはもっと疲れていたと思います、又到着して直に仕事とはいえども石川社長と日林さんには本当に申し訳なく・・・・、ホテルへ到着し、二人を待っている時間があったので、石川社長や日林さんが商談中という事もあったのですが、移動時間が身体に疲れを訴えていたので、社長たちを待てず気は引けていたものの・・・・先にシャワーを浴び、休憩をさせて頂きました・・・すみません。後に商談も終わり社長たちがホテルに入り、大和田塾頭の部屋で商談の内容を聞かせて頂きました。商談の内容については、エコルド社との事もあるので控えさせていただきますが、時間も時間でしたので、食事をしながらゆっくり話をしようという事で食事に出掛けました、食事後ホテルへ帰り、一日何もしていないが疲れたなあ〜と思いながら長いながい一日が終わりました。

 2日目・28日、9時頃ホテルを出発、阿蘇郡小国町=須永博士作品館・美術館へ向いました。そもそも須永博士美術館へ訪問する事となったのは、大和田塾頭が須永先生の作品を数点購入し、須永先生の詩がとてもいいという事で購入した作品を政経塾においてあります、又先ほども言いましたが須永先生の詩がいいので、姉妹塾でもある韓国機会の学塾にも作品を贈っています。今回、機会の学塾が10周年を迎えるという事で、須永先生の作品を10周年の記念にと学塾へ贈るため作品を購入する目的と、以前から塾で考えていた事ですが、須永先生は、旅の詩人、日本各地を旅し、出合った感動や涙・笑いを詩に残しています、又日本各地を旅した時の出会い・感動・涙・笑いの話を語るなど、講演やサイン会なども行なっており、是非、作品だけではなく、須永先生に政経塾で講演をしてもらいませんかという提案が出ていました。(須永先生の講演を聞く時には涙をふくハンカチを用意しなくてはならないとか・・・・)
 講演をして頂くには、須永先生のHPや作品だけの印象で決めるのではなく、須永先生に会って直接先生と話をしてみてからと塾で話をしていましが、今回商談の為九州へ訪問する事が決まり、九州へ行くのなら須永先生に会えるかどうか解らないが、須永美術館・作品館を訪問しようという事が決まりました。出発前に須永先生のHPを見ていると、偶然にも訪問する28日は、作品館でサイン会、18時からは講演会をする事になっていました。サイン会の時に政経塾の事や又先生の講演の事などゆっくりとお話をさせて頂くことなどできないかも知れないが・・・・と思いつつ、作品館に到着、作品館に入ると須永先生が座っておられました、入館料を払っている間に、大和田塾頭が素早く訪問することになった事や塾の事などを須永先生に説明していました。説明をしていたら、須永先生から「2階の方へどうぞ」と案内してくれました、須永先生直々自分が生まれ、仕事に就き挫折し、旅の詩人になった事などパネルに詩を書きながら丁寧に話してくださいました。先生と話をしている中で、大和田塾頭が政経塾の事や機会の学塾に先生の作品を贈る事などいろんな話をしました、先生が「皆さんは一台で来られたのですか」と私達に聞くと、すくっ、と立ち上がり「私の後について来て下さい」と他にも沢山の方が来られているにも関わらず、自ら先生のアトリエに案内してくれました。アトリエといえば、訪れる方が誰でも行ける場所ではなく、詩・絵・書・油絵・陶器といった作品を作る場所です、その場所へ先生自ら私たちを案内してくださいました、自分自身作品を作る先生のアトリエという場所を訪れるのもはじめての事です、アトリエの部屋の中はあちこちに作品の数々が置いてあり、先生の部屋、壁一面に外を眺める窓があり、そこから眺められる景色は、それはもう山・田畑とのどかな自然の景色が一望でき心が落ち着ける眺めです、これぞTVなどでも見ている詩人作家のアトリエだ・・・・と感じることができました。大変貴重な体験・時間を与えて下さり、又先生の大切な場所アトリエに案内してくださった事に感謝しています。先生のアトリエを見学させていただいた後、またもや先生自ら美術館へ案内してくれました。須永博士美術館では、先生との名刺交換、作品数々の説明なども聞かせて頂きました、先生は作品館でサイン会の最中でしたので美術館での作品の説明は先生のお弟子さん(先生は弟子と言っていましたが、娘婿です)が居られましたのでその方とバトンタッチをし、先生は作品館へと戻りました。先生が戻った後、娘婿佐藤さんとも名刺交換をし、作品の説明をしていただきました。佐藤さんにも政経塾の事や機会の学塾のことなど話をさせていただき、塾の目的であった須永先生の講演の事やサイン会の事なども話をさせていただく事もできました。四国に帰り改めて塾で日程等を検討した上で、是非とも須永先生に来塾してもらい講演をお願いする事をお話し、再度作品館へ戻りました。今回はサイン会でもある為、須永先生に直筆で作品に書いて下さるという事もあり、塾頭はじめ塾生も作品を選びはじめました。塾頭は家族に、石川さんは娘に、日林さんは・・・分かりませんが私はといいますと、実は帰りのフェリー時間が気になり、というのも須永先生の訪問の後、臼杵市臼杵石仏公園・公園周辺の深田心の小径への訪問も予定していた事と、私達以外にも沢山の方がサイン会に来られていたので、時間が気になり作品を選ぶ余裕がなく、皆が終わるのを側で見ていました、待っていると、須永先生が「直美さんこっち前に来なさい」と、呼ばれた時にはドキッ≠ニ驚き、呼ばれたのでハイと須永先生の前に座ると、須永先生の机の上には「挑戦」という作品がありました、知らぬ間に塾頭が選んでくれていたのです。(自分は作品の多さと、作品館、アトリエそして美術館での先生との話と、時間が気になり作品を選ぶ余裕が自分になく、今回だけでなくまた先生とは何らかの形で絶対に会い、その時自分にあった作品に言葉を頂こうと思っていたので選ばなかったのですが、塾頭が自分に選んでくれていたのにはビックリしました、本当に有り難かったです、有難う御座いました。)

 塾頭が選んでくれた作品は・・・ 挑戦

 人に負けてもいい
 しかしやるべきことをやらない自分の心の弱さには
 絶対負けたくない



 この作品に先生直筆で、直美さんこれからも夢に幸せに挑戦して下さい。と書いてくれました。それだけではなくもう一つ、後ろから一枚の画用紙を取り出しすらすらと私に詩を書いてくれました。

人間やる気になれば  本気になれば
なんでもやれることがわかりました
なんでもはじめの一歩が大切なことがわかりました
直美の人生すべて挑戦です  やらせてもらいます

直美さんのために・・・   須永博士 旅の詩人
              2007.7.28

 須永先生は日本各地旅を続ける中、人としての原点を見つけ、詩として私達に語ってくれる事は、自分の心に重く感じ、詩を書き語ってくれる須永先生を凄く偉大な方だと、塾でも教え学び続けている事ですが、自分が自分の損得を考えず人のために考える事ができるだろうか、自分を考える前に人の事を考えられる自分でなければならない事を教わります、まさに須永先生はその一人だと須永先生の行動で感じる事ができました。その訳は、他のあらゆる先生方なら考えが付かないだろうと思います、自分の開催しているサイン会の最中、他の方々が居られるのにもかかわらず、本人が会場を離れ、本人自ら他の場所へ案内をするでしょうか、まず他の先生方ならその場を離れたら他の方々がどう思うか、自分がマイナスに思われれば自分が困るとまず自分の事を考えるでしょう。須永先生は違います、案内をしてくれる先生を見ていて、サイン会で人が来ているのに作品館を空けて平気なのかな・・・?と頭の中をよぎりましたが、そんな先生を見て感じた時、塾で教わった事を考えました、先生は、自分の事を考えず人の事を考えてくれていて、だから人に頼らず自分自身でそれも、ごく自然に対応してくださる須永先生の私達に対する気づかいが誰でもできることではなく、須永先生のように大きな人間になりたいと強く感じました。又、須永先生はサイン会に来られた方々一人ひとり詩を元に、大人だろうと子供だろうとやさしく自然に語ってくれます。美術館で須永先生に大和田塾頭が私の塾でのことを先生に話をしていた時、先生は私に「凄い、素晴らしいですね」と言い、「自信が付いたでしょう」と言ってくれました、私自身先生に言われた事にチョット恥ずかしく、「自信が付いたでしょう」という言葉に自分にもその時解りませんが「え?なに?なして・・・」、その言葉を言われた瞬間少し涙腺がゆるみました。今振り返ればあの当時の私は、突然一人の方が塾を去り、その人の後を任される事になり、私がやらないと誰が・・・・・?の思いが強く、何も考えずそく行動していました、周りの人にほめられる事を期待するのではなく、私がやらないと塾も周りも困るそんな思いが強かった、だから先生から言われた時、はじめて人のためにやれていた、人の役に立てているのかなって、だからウルと涙腺がゆるんだそんな気持ちがします。多分、一枚の画用紙に私に書いて下さった言葉は、私の話を聞き私にこれから何事にも私にできることに挑戦し続けろと言ってくれたのだと、須永先生に出会い、先生と話ができた事、また自分に気付かない事を気付かせてくれる、本当に先生と会えて良かったと心から感謝しています、またお会いできることを信じこれからも頑張ります、須永先生有難う御座いました。

 須永博士作品館を出て、臼杵市臼杵石仏公園・公園周辺の深田心の小径へと向いました。公園に到着後、深田 心の小径を1時間程かけて見て回ったのですが、石碑には歴史に名を残した方の言葉が刻んでいます、私には難しくパンフレットには言葉の意味が書かれていますが、石碑だけをみて読んでいても(恥ずかしい話読めない石碑・・・意味も解らない)言葉の意味すら解りません、感じた事ですが、歴史に名を残した方の言葉を人々に伝える為に建てられた石碑なら、その言葉の意味も読み取れるようにパンフレットだけではなく石碑一つ一つの片隅に言葉の意味を印したものを一緒に置いておいた方が良いのではないのかと・・・・。

 猛暑の中暑くてあつくて身体が自分の思うように動かなかったですが、小径の後、隣にある石仏公園の石仏を回りました、臼杵石仏は、千年の風雨にたえ、ひたむきな信仰のあかしを今も残していて、平安時代から鎌倉時代にかけて彫られたといわれていて、遠く千年の歴史、文化を現代まで伝えてくれています。彫られている石仏には圧倒されましたが、石仏が全部で59体あります、石仏を見ていたら大和田塾頭が、般若心経を唱えるからといって、私も一緒に手を合わせ拝ませていただきました、私は、般若心経など唱える事すらできません、石仏に圧倒されただただ手を合わせていました。

 石仏公園を出て港に向いました。前日からの長い移動時間と暑い中公園を見て回った疲れもあって、フェリーに乗ったら皆寝ていました。今回は本当に疲れましたが2日間とも良い日でした、須永先生との出会い、歴史を考えさせてくれる石碑に、千年伝え続け今もなお守り続けている石仏、歴史の重さを考えさせてくれました。2日間でしたがとても長い旅に感じます。道中の運転、一緒に行った皆さんお疲れ様でした、そして有難う・・・・。
平成19年7月28日
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