第 142 号
熊野神社(熊野十二社大権現)訪問
 以前より、私は個人的に熊野信仰が全国各地に有るにもかかわらず、知っている限りの熊野神社を訪問いたしましたが、ほとんどの神社は本殿がかろうじて残って居るのが現状でした。確かに熊野速玉退社、熊野本宮退社、熊野那智大社は、熊野三山信仰として今も栄えていますが、おそらく熊野信仰がピーク時には全国に何万と有ったと思われる神社が今は全国で熊野信仰として残っているのが約3000社と云われている。
 熊野信仰の疑問を抱えつつ、島根県に行く機会があり島根には熊野神社有りますかと、地元の人に聞いたところ、有りますと言われ山道を駆け抜け神社にたどりつきました、神社の人の説明では熊野大社は火の発祥の神社として「日本火出初之社」とも呼ばれ、出雲大社と共に出雲国一宮である。意宇六社の一つ。和歌山の熊野三山も有名だが、熊野大社から和歌山に勧請されたという説と、全くの別系統とする説があるが、熊野大社に残る由緒書きから、熊野三山の元津宮であると見られる。風土記や延喜式には熊野大社と記されていた。ただ、その後のかなり古い時期には熊野大社の呼称はされなくなり、「熊野大神宮」や「熊野坐神社」と呼ばれた。近代社格制度のもとで神社名を熊野神社として、1871年に国幣中社に列格した。1916年に国幣大社に昇格した。1977年に上古の名前を回復する形で現在の熊野大社と改称した。島根の熊野大社について記述しているそうです。お札を授かり宮司さんにお礼を言い、歴史を感じつつ島根を後にしました。

 そんな中、塾生 石川君の紹介で田中成明先生(国際マンダラ協会会長)とお会いする機会があり、我が四国中央市の新宮町に熊野神社が有り、しかも四国の熊野信仰の総本山で有ったことを聞かされ、驚きと感動を覚え、神社に行きイロイロなお話しとお札を授かろうと思いましたが残念ながら無人でした。
 田中先生は四国中央市の新宮を、癒しの里とし、自然の中の霊的な物を神仏とし、散歩と信仰を重ね、森林浴(霊的な神秘を感じる大木、石、滝)等を散歩道とし、多くの人に自然の力を感じて貰う事を目的とするコースを四コース創り四国八十八ケ所見たいな霊場を作る事を目的とし、四日間、新宮を回り、また、四月に新宮を探索しコースを作っていく約束をし取りあえず、東京に戻られました。

    

 益々、熊野信仰について、調べたくなり、何処か近くでお札を授けてくれる熊野神社が無いものかと思いパソコンで検索していると、岡山県倉敷市に(日本第一大霊験根 本熊野神社)を見つけ、神社に電話すると、宮司さんがでられ、感じ良くお話しをしていただき、お互いに熊野信仰についてお話しましょうという事で1月7日に出掛けました。

 熊野神社に着きますと、佐藤宮司と岡田神社総代はじめ4名の方が待ってくれていました。倉敷の熊野神社の云われ等を聞く前に、私たちが新宮村史に書かれている、熊野信仰と伊予新宮の歴史の話をし、時間の都合、持参した村史に書かれている中の熊野信仰の部分だけコピーし後で詳しく書かれているので読んでもらうことにしました。熊野神社の方々から熊野信仰の話をしばらく教えてもらっていると、途中から、前岡山理科大学教授 石井先生と本城会長が見えられ、話が振り出しに戻り、この後の話は、石井先生の研究されている、波動水とか世界の温泉の話、学歴、大学の話しが多く語られ、私たちが期待していた熊野神社の話があまり出来なかったのが残念でしたが宮司さんが倉敷の熊野神社(十二社権現)の由緒を書いているものを下さり、神社の御祭神は伊邪那岐神、伊邪那美神、天照皇大神等十四柱を祀っている事とか、重要文化財史跡でもあるとか、あらましの事はなんとなく理解出来たかも???再度訪問し、時間をかけて、神社、又その周りの地形、町の生い立ちなど調べなければ、今回の訪問が無駄になるのでは!!

 訪問にあたり、宮司さんはじめ神社の方々並びに世話人のご親切有難う御座いました、感謝申し上げます。
平成19年1月7日
目次へ