第 15 号
高塚政生氏をお迎えして
高塚政生氏
 平成14年11月10日(日)10時より四国政経塾事務所内にて、高塚政生(たかつかまさき)氏による講演会がおこなわれました。
 講演会には、日頃お世話になって頂いております。有志の方々はじめ、国際協力に興味の在る方を含め15名もの方が参加致しました。
 高塚氏は、過去ラオス、アフリカ諸国、東ティモール等の国際支援活動に幅広く携わり、本日、特別に四国政経塾にて講演を聞くことができました。

 ここ最近では、1983年結成されたシェア(share)とよばれるNGO団体のもと東ティモールへ赴任し医療業務ならびに遠隔地への医薬品の運搬業務や患者の緊急搬送をおこなうなどの経験があります。シェア(share)とは、健康で平和な世界をすべての人と分かち合う為に、草の根立場から行動をおこした医師・看護婦・学生が中心となり国際保健協力をベースにしている。海外に医師・看護婦等を派遣し、人と人とのつながり、学び合いを重視した協力関係を探り、築いてきた。地域の人々と協力し、人づくり、自発的な助け合いによる健康づくりをを目指している。高塚氏は、1970年代初頭、TVの画面に映しだされるボートピープル、ベトナム戦争等 世の中の矛盾、歪みが社会的に弱者の所に顕著に表れる。生命の価値が坦々と弄ばれ、富の分配の不合理さを感じそのような国を実際に見てみたいと興味を抱く。
 講演会は、高塚氏に実際に現地を訪れた村のパネルを中心に説明して頂きました。
 最初は、ラオス周辺の空撮写真を見れば、蛇の目のようにうねった林道、砲弾の形跡枯れた山々が見える。村の住居は藁葺きの屋根・竹を半分に切って使用したベッド・食物は穀物・豆類が主であり、とうもろこしの種を採ったあとの残りは大便用のお尻拭きに使用している。ケシの栽培も盛んでありゴールデントライアングルといわれるヘロインの密売が行われ収入源のひとつでもある。水牛一頭、豚は多畜している家が多く世話役は子供である。
また、ラオスの山の民モン族は1950年代までは、文字を持っていなかったがこともありモン族のお話は語り部によって口から口へと伝えられてきました。1950年代フランスの植民地となっていたのでアルファベッドを教えられ現在は、モンの子供が民話、山の暮らしなどを元々持っていた刺繍の技術を使って糸で綴っているとのこと。
                 

 続いて、東アフリカ・ウガンダでの報告であるが、ジャール平原に一万年前以上の石碑と壷が多数発見されており現在は観光地ともなっている。ウガンダは北緯ゼロ、南緯ゼロのEQATOR部分の熱帯地域である。

 さて、ウガンダ等についてはアフリカの悲劇は近代において三回の人口減に始まるとのこと

   @奴隷時代の1880年代新大陸、周辺諸国への強制連行 
   A植民地時代の傀儡政権運営者の教育のための本国への強制移動
   B1960年代アフリカ諸国が独立時の内戦、AIDS患者の増加

 特に、男性の人口減少、それまで自然と戦いつつ、自然との共生してきた秩序が壊され、自然の脅威に対処できなくなってしまった。植民各国からの資源の奪取、政治勢力と先進諸国の搾取、日本は、原材料を国内で産するものはほとんどない。鉄、石油、アルミ、ゴム、シリコンなど輸入に頼っている。だが、原料輸出国と製品加工国とで利益が分配されればいいのだが労働力コストが安いのを見過ごし、純益として資本の蓄積に回す挙句の果ては国際通貨基金や世界銀行に出資し利息を稼いでいる。これが公正な取引といえるのだろうか! こういった国に教育システムをつくれるのか!どう働く場に投資できるのか……。我々が今後、考えていかねばならない問題であろう。

 ウガンダはイギリスの植民地でもあったため英語・ケニア語・スワヒリ語・ウガンダ語と様々、国産は、コーヒー・銅・真鍮等であるが、生活スタイルは杜撰なものだ。 家は煉瓦づくりで男は牧狩り、女は水を取りに行くのが基本だが、水の場合、子供は10g2缶、18〜20歳で20g2缶、大人で20g2缶+頭にものせて運搬するとのこと。 今の日本人でこのような生活のできる人いるのかなと考えさせられる。
 最後は、2002年5月20日国際社会の全面支援をうけて独立した東ティモールである。ティモールは多種多言国家であり33もの言葉がある。主としてオーストラリア語・北方語・ポルトガル語・ティモール語など、村は泥を使った家が多い屋根は竹を使用している。80万の人口で、一県9000人あたりに対する医者は2人、看護婦50人、助産婦2人という状況但し田舎の方は診断程度の診察(体重・ワクチン・予防接種)、薬を与える程度であり手術を受けようと思えば、首都ビリまで自動車で2時間かかってしまう有様である。 平均寿命も40歳程度、一人あたり出産数10人であるものの生存者は4〜5人だけであり死亡者は、ほとんどがマラリア・寄生虫等で死んでしまう。東ティモールは、ラオス、ウガンダと比較すれば、人間にとっての最低限の基本的生活条件は満たされている。食物については、動物性蛋白質の摂取は極端に少ないが野菜、穀類は自給できる。魚類の水揚げもできる。米・豆の2期作も可能である。衣料も中古市場が各郡都で週一回開かれている。 住居も野宿する人もなく新築される家もある。首都では、商業用・行政府建物についても改善されている。医療面では自動2輪による移動診察、保健サービスが徒歩で2時間の範囲で受けられる。移動面では、ミクロレットとよばれる乗合自動車が運行されている。教育は、2部制であるが初等・中等教育は始まっている。
 内容は、以上現地での視察報告・体験談を中心に説明していただきました。

 質疑応答では、現地での苦労話特に言葉、移動、資金面等に具体的にお答えして頂き、現場を理解することが出来た。
 今回は、より広い視野のなかで勉強させて頂きました。国家を代表しない非政府組織(NGO)が、国際連帯組織や人道主義活動組織が国境を超えて活動し絶え間ない努力によって拡大している市民社会組織や現地での活動の困難さも数多くあることも理解できた。一部の多国籍企業のあくなき利潤追求のために貧しい人々が犠牲にされている現実、また、サミット、IMF、WHO、世界銀行といった国際的機関が企業活動を後押ししていることがODAなども末端の苦しんでいる人まで資金が流れていない現実を知ることも改めて理解出来た。
 今、世界各地で発生している紛争によって食糧危機・難民問題、環境破壊・干ばつ等、常に犠牲になるのは一般市民である。まさしく21世紀の課題である。
 人種、宗教、思想、政治状況を超え第一戦でボランティア活動を地道に取り組んでいる人々の姿を改めて触れることが出来、認識を深めることが出来た。

 今後の活動のテーマのひとつとして取り組んでいきたい。
平成14年11月
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