第 153 号
愛媛県生涯学習センター:子規堂訪問
 5月17日愛媛県生涯学習センターと愛媛人物博物館の見学に出かけました。私自身愛媛に生まれ育ったにもかかわらず、我が故郷である、愛媛にどんな人がどんな時代に活躍も知らないのも、恥ずかしい話である、そんな意味も込めて今回の訪問である。

 先ず、生涯学習センターの事務局の人に、生涯学習センターの役割、事業内容を聞き、生涯学習センターでの研修をしたいのなら受け入れは如何か?受け入れ条件、センターにおける、研修のプログラムを聞き、人物博物館の展示品、どの時代にどんな人が活躍したかを勉強に行きました、人物博物館は分野別に九つに展示されていて、どの時代にどんな人が活躍されたか、解り易く展示されていました。
 学問、教育、政治:行政、産業、社会、芸術、文芸、芸能、スポーツと順番に展示されていましたがほとんど聞いたことの無い人物でしたが、戦後初の文部大臣として教育の民主化に勤め、勲一等瑞宝章を受賞した、安部能成氏、刀剣部門で日本で最初の人間国宝に認定され、現在の皇太子誕生時にお守り刀を献上した、高橋定次氏、オリンピックで日本の水泳で初めて金メダルを取った、鶴田義行氏、大阪タイガーズ初代監督の森茂雄氏のユニホーム(現存する最古のタイガーズのユニホーム)等勉強に成るといゆか、物知りになれると思いますので、一度行ってみては如何でしょうか?

 愛媛県生涯学習センターを後にして、子規堂に向かいました、松山はよく行くのですが、市駅の横の子規堂は此方ですとゆう看板だけ見て、子規堂えは一度も行ったことが無く、今回念願の訪問です、子規堂は、入り口には「正宗禅寺/子規堂」と書かれています。正岡子規、本名正岡常規。慶応3917日松山市に生まれる。明治3591936歳で死去。子規17歳、我が国にはいって来たベースボールを幼名から升(のぼる)と野の球とをかけ合わせて野球と云う言葉をつくったと云われる。やがて松山の地に初めて野球を伝えた。明治25年日本新聞社の社員となる。

        

 日清戦争に従軍記者で活躍、28年東京時代の学友であった夏目漱石が松山中学の教壇にたっていた。漱石の下宿、愚陀仏庵に子規が同居し、この時松山の新派俳句は興ったと云われている。
 新聞「日本」の俳句雑誌「ホトトギス」等によって子規は日本新派俳句を全国に普及させた。
 また、叙事文、写生文を提唱し当時の小説家達に影響を与えた。子規堂は文学なかまであった正宗寺住職仏海禅師が業績を記念して子規が17歳で住んでいて上京するまでの正岡子規の住居を正宗禅寺の境内に移設したものだそうです。
 入り口には、七福神御像、斎藤茂吉や与謝野晶子の歌が書かれていて建物の中は展示物と子規が勉強したと言われる部屋が二個有りました、建物の横はお墓が沢山有り、結構ユニークなお墓が沢山有りました(一度見に行く価値有り)也より驚いたのは、 正宗禅寺の本堂の中に元横綱千代の富士の大きな優勝写真が飾られていた事でした、其の写真があまりにも大きいのでご本尊が何か解らずじまいでした。
 その後石手寺をお参りし帰路に着きました。

平成20年5月17日
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