第 165 号
弓削島 「しまの会社」
 今年の2月に松下政経塾26期生の兼頭一司氏の「希望の島フォーラム」参加させて以来、同じ四国内とあって時折連絡をさせて頂き、弓削島に「しまの会社」を設立するにあたり、約9ヶ月間奮闘し、此の11月にしまの会社の存在をかたちにした軽食サロンを立ち上げたと聞きお祝いに出かけました。

 兼頭氏は東京で大手印刷会社に勤めていた頃(自分の生活は何だろう?生活のために朝から深夜まで働いて、通勤電車に息詰まらせる毎日だった、食うため働いてんだか、働くために食ってんだかよく分からない、これじゃ自由どころか不自由そのものでないか」と感じたそうです。自殺、ひきこもり、ニート、いじめ、新聞の社会面を連日にぎわす忌まわしい事件の数々、外国に目をやれば、経済成長の果実をめぐり環境破壊や武力紛争が絶えることが無い。しかも自分の身に降りかからない限り誰もが無関心どころか、日々起こる事件すらエンターテインメント化し、消費する対象になっている気さえする。自らの叫ぶ自由や競争のスローガンがむなしく響き渡る。一体なぜだろう?自分の道はこのままでよいのか?自ら反問を繰り返す日々が続いた)兼頭氏の言葉引用

 この様な現代社会、自由競争に疑問を持ち、松下政経塾の門をくぐり、3年間の松下政経塾の研修を終え日本の数々の所を回り実践勉強をし、愛媛の活動に入り、自分の人生をかけて今まで育んできたものを実践する地域を上島に決め、妻と子供を引き連れ上島に夢と希望を抱いて入りました。

 先ず彼が取りくんだのは島の人達とのコミニケションをとり早く島の人達とコミュニチィ作りでした、よそ者を受け入れてくれるまでの苦労は想像でしかないですけど、大変だったと思います。 わずか9ヶ月で一つのかたちを造り、島の特産物の販売に手がけている姿を見て感心するしか有りませんでした。只、素人集団での会社作りは此れからおきる問題が大きいのではないかと、壱事業家して心配な事が沢山見えましたが、あえて、黙って、彼の此れからの取り組みの話を聴きました、今後の彼の夢を叶える為の取り組み、それに伴う問題点等を聞き、私自身の中に疑問もありましたが、気長く、壱事業家として見守る事にし、今後の彼の活動を激励し上島を後にしました。

        

 此れからの、日本国において、兼頭氏の様な人物が数多く出てくることを願い、次の様な問題点に取り組みが出来る人物が出てくる事を願うものです。

 今の時代、自己中心の人物が多くなり、予想もつかない事件が起きる中、人材育成、地場産業の育成、環境問題、人と人のコミュニケーション、特に心の問題を中心に数多くの人と意見交換を取っていける場所作りを心から願うものです。
平成20年11月29日
目次へ