第 167 号
『中岡慎太郎館』
初めての偉人館巡り
 四国政経塾に入塾して、初めての偉人館巡りとなりました舞台は、高知県安芸郡北川村です。川に水が流れ、山々に囲まれた自然豊かなこの場所に中岡慎太郎館があります。この広大な自然の中で、慎太郎は何に想い、何に突き進んで行ったのでしょうか?
 今回は慎太郎という人物を少しでも感じられる偉人館巡りにしたいと思い参加させて頂きました。

 慎太郎は幼少の頃から、勉強や剣術に秀でていて、わずか3歳の頃から、住職の弾定和尚に読み書きを学ぶ日々でした。それと同時に、20mの断崖から海へと飛び込む勇気と大胆さを持つ優秀な男児でした。臆病で泣いてばかりいた竜馬との幼少期とは全く違う、まさに神童と囁かれるほどの優秀な男児でした。

 こんな話があります。ある時、村を飢饉が襲いました。餓死する者や、病に倒れる人々が続出しました。食糧に困り果てていた平鍋の三部落の為に、四方八方に奔走しサツマイモを手に入れ、人々を救済しようとしたがそれだけでは足りず、常用の貯蔵庫を開く必要に迫られました。国老の桐間蔵人の役宅を訪問したが「夕刻の為、明日まで待て」と言って取り次いでくれませんでした。慎太郎はそのままそこで一夜を過ごしました。慎太郎の必死の陳情を聞いた蔵人はその場で貯蔵庫を開き、村民を救済することを許可しました。それでも足りず、今度は山林や田畑を担保に米や麦を借り入れたり、藩に迫って、八百両を借り入れたりもしました。
 私が驚いたのは、慎太郎はこのときまだ15歳という年齢です。私が15歳の時に何が出来ただろうか?誰にでも、頭で考えることは出来ます。しかしそれを行動に移す、実行に移すことは大変な勇気と決意が必要だと感じました。塾頭が常におっしゃっている「すべては行動を起こすこと」という教えが少し分かってきたような気がします。

        

 慎太郎は陸援隊を、また竜馬は海援隊を組織して倒幕を進めていきました。有名な話ですが、険悪な長州藩と薩摩藩を説得し、両藩に劇的な同盟である「薩長同盟」を結ばせた発案者は竜馬ではなく、慎太郎だったという新事実に脅かされました。この「薩長同盟」は世界が大きく動いたといわれるほどの同盟でした。「薩長同盟」が締結された時、同席していたのが竜馬だった為、結果的には竜馬が同盟を結ばせたのは間違いありませんが、しかし薩摩に、長州に何度も足を運んで、両藩を説得したのは間違いなく、慎太郎でした。
 中岡の功績が竜馬に隠れてあまり知られていません。しかし、自分の命を顧みず維新のために行動した慎太郎の姿には感動しました。

 今回の偉人館巡りで得たものには、数え切れないものがあります。まずは自分自身が出来ること「全ては行動をおこすこと」という教えを実行していきたいと思います。
平成21年2月14日
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