第 179 号
中岡慎太郎館を見学して
 まず、第一印象は、行けども行けども、と言った感じで、こんな山の奥にあるのには、いささかびっくりした。
 生家が、すぐそばにあることから、仕方のないことかもしれないが、もっと一杯皆さんに来てもらうためには、もう少し別の場所を選んでもよかったのではと言う、思いもした。しかし反面、このような場所だからこそリアルで、時代背景を知る上にでも必要だったのかもしれません。
 私は、これまで、坂本龍馬については、司馬遼太郎の「龍馬が行く」を読んだり、テレビ映画等で、ある程度知っているつもりだが、中岡慎太郎については、室戸岬の像と、龍馬といっしょに、暗殺されたと言うことくらいしか、知らなかった。坂本龍馬や西郷隆盛、吉田松陰等々の影に隠れて、これまであまり知られてなかった裏の立役者だったということを、初めてわかった。人脈作りや、己の考えを訴えるために、全国を東奔西走して、明治維新の礎を築いた人物が、道半ばにして、30歳と言う若さで、暗殺されると言う悲劇にみまわれた。もう少し長生きしていれば、きっと、西郷隆盛らと並ぶ、活躍をしていたのではないかと思えてならない。

      

 中岡慎太郎は、飢饉の時には、自分の土地を売ってまで、村人に食料を与え、それでも足りなくなれば、土佐の城下まで行って、役人に直訴して、食料を確保するなど、現代では考えられない自己犠牲と奉仕の精神を持ち合わせていた。なぜ、幕末の時代中岡慎太郎のような、村を思い、藩を思い、或いは国を変革する為に、自分が捨石になろうと言うような、純粋な青年があんな僻地の山村から育ったのだろう。両親の教育が、大きく起因しているとは思われるが、それだけではどうしても納得しがたいものがある。しかもこの時期日本国中から、自然発生的に同じような、思想を持った若者が出現している。情報網も発達していないあの時期に、土佐、薩摩、長州とかなり離れた場所で、しかも多くが、下級武士等の中から殿様が、指揮したわけではなく広がって入った事にどうしても、私には理解しがたいと同時に、自分は、何とちっぽけな存在だろうか。いったい今自分は、何ができるのだろうか?何をするべきなのか。そんなことを思いながら答えを模索している。
 もう一つ 疑問を感じたことがある。慎太郎が、飢饉にあえぐ村人を救ったときのことを読みながら、あの時代、交通手段でさえ全く発達していない時代にあってもこうして、人を救い、何とか国全体が苦しい中でも飢えずにやっていけたというのに、現代どう考えてもインターネットに、ジェット機、ロボットと生産性は、100倍をいうに超えるはずの時代にあって、未だに自殺者が、3万人を越え、生活貧困層が200万人にもなろうかと騒いでいる。
 これはどう考えてもおかしい。何かが狂ってる。慎太郎が、今、生きていたら・・・・・・?どう行動するだろう。もう少しみんなが、平等になれば、格差を縮めさえすれば、富裕層が少し手助けすれば解決する問題ではないでしょうか? 本来、食うことくらいには困る時代ではないはずです。

       

 最後に、今回中岡慎太郎館を訪れ、若い頃に感じていたもの、あれはもう20年あまり自分の中で、眠ってしまっていた誰かの為に、ほんの少しでも何かできることがないかという、メラメラとした胸の高鳴りを甦らせてくれました。
 私は、四国政経塾に入って、まだ新しいですが、これからもっと勉強をしながら、自分にできる何かを早く見つけ出したいと思います。自分に刺激を与えるためにも、又、何度となく訪れたいと思いました。
平成21年10月18日
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