第 197 号
高梁市訪問
 岡山の森氏より、高梁市・活性化の為の問題点を拾い出し、如何に解決していくかの話し合いを以前、市の職員とその有志と話し合いを始めたのが2年ほど前でした。それ以来、何度か高梁市を訪れ、自分なりに高梁市を探索致しましたが、平成の合併により、市自体の面積が広くなり、観光資源も多く成りましたが、山中ゆえに移動距離が大変でした。
 今回訪問時は丁度、岡山全県で文化祭が開かれ、無論、私達が訪れた、高梁市も多くのイベントが開かれていました。

       

 高梁市に入り、文化交流館で以前から高梁市訪問時はお世話に成っている、松下氏と合流し一路、吹矢ふるさと村に向かいました、前回もそうでしたが、山道を走り、約40分程で広兼邸に着きました。やはり、道中での看板が少なく、地元の人でないと行けないと感じました。

 広兼邸では高梁市の総務部の歴史まちづくり課の渡辺課長さんが案内をして下さり、広兼邸の前の小高い丘の上の神社の説明をして頂きましたが、我々だけで行くと、如何しても、壮大な広兼邸に行ってしまい、今まで3回程訪れましたが、その神社さえ気付きませんでした。広兼邸を後にし、吹矢の町並みを見学させて頂き、日本で現存する最古の小学校の説明を受け、小学校を出て、山越えをして、吹矢の町並みに帰りますと聞いた時、疲れているのに元の道を帰れば良いと思いましたが、渡辺氏は山越えの中腹にある、昔この吹矢一帯を治めていた、お殿様のお墓を紹介してくださり、山を下ると何時も見る吹矢の町並みでなく、吹矢の原点である町並みを紹介して下さりました。三菱財閥の神社等が有り、より、歴史を感じました。

 吹矢の町並みを出て、笹畝坑道に行き何名かは坑道の見学に入りました。私は以前見学させて頂いたので、外で待っていました。30分程すると出てきて、高梁市市内の頼久寺を見学いたしました。このお寺は小堀遠州作の庭園で、何度来ても縁側に座ると、心が落ち着く場所です。

 時間の都合で、今回は頼久寺を最後に帰路に向かいましたが、次回は高梁市市内の武家屋敷、歴史美術館等を見学の後、高梁市の観光課の人達並びに活性化に活動している人達と外から見る高梁市と住んで見る高梁市の違い、今後如何にメジャーにするか、議論が出来れば幸いです。

 今回、ご案内下さった、森氏、松下氏、特にイロイロな処を歴史的に説明下さった、渡辺氏に感謝致します。
平成22年10月30日
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