第 198 号
「高梁市」探訪での所感
 10月30日、我々政経塾塾生は岡山県高梁市に訪問した。私は高梁市へ訪れるのは初めてであったが、市内には観光資源としての素材が想像以上に多く、正直に驚いた。
 私も不勉強で山田方谷の業績は知っていたが、高梁市がかの偉人の出身地であったということを全く知らず、勉強を積んでも知らないことは次から次へと沸いてくるものだと痛感した。
 そのことを加味して考えてみると、高梁市に山田方谷に関係する文化事業の外に向けての発信がまだそれ程強くなく、また方谷は生まれも育ちも高梁市であるが記念館は高梁市より北の新見市にあり、高梁市としての取組み方をより強くするする必要性がある気がした。

 小泉内閣以降「構造改革」や「行政仕分け」や「公務員制度見直し」など政府の抜本的な改革が求められる時代となったが、こんな世相だからこそ山田方谷のような改革の成功者の優れた業績や手法に注目を集めるべきである。
「米百俵」という言葉も今でこそ有名で新潟に来る観光客が長岡市まで足を運ぶようになったが、小泉首相が所信表明演説で引用されるまでは全く無名で客足も少なかったという。結局は発信力や広報・宣伝力が観光の要なのだろう。私も無学で、広報や宣伝に関する手法などを全く知らないが、何かのきっかけで「雲中の飛龍」山田方谷に注目が集まる素養は十分に内在しているはずである。

 私も歴史が好きで本を読み漁っているが、幕末期の藩政改革で方谷ほど建設的で清冽な施策は他にない。日本で最も標高の高い場所にあり、日本三大山城にも数えられている備中松山城などとも絡めて「歴史の街 高梁市」という印象をいかに広げていくことができるのか。今後研究していきたい課題である。
 また、それとは別に「吹き屋の町並み」も愛媛の内子の町並みほど有名ではないもののそれに負けず劣らずの町並みであることには代わりがない。私は香川の観音寺市在住で高梁市からも内子町からも均等に遠いが、やはり内子の方がはるかに有名で、更に岡山県で「町並み」と言えば倉敷の小京都のような町並みの方がインパクトが強い。山の方にあるためかどうしても高梁市まで足が伸びないのだろうか。

 前記した通り、高梁市の吹き屋の町並み、赤銅色のベンガラの町並みは戦前の趣きを遺した風情ある街道となって、来た観光客ががっかりする様なことはまずないだろう。他にも、映画『八墓村』のロケ地である広兼邸や小堀遠洲が手がけた日本式庭園の美しい頼久寺や銅山坑道など高梁市の観光素材が優れていることは、大変理解できた。
 ただ、名所は多いが広域である高梁市内に点在しており、移動時間を多量に使わなければならないこと。また道も分かりづらく観光案内の表示も少なく、観光客はまず間違いなく右往左往すると思われる。市の予算とも相談ではあるが、もし展望があれば案内板の設置や市内の観光バスを運行させるなど試策できると感じた。自動車以外の観光客はまず難しいという場所も多かった。
 私も1度行っただけだし、観光事業などの専門的な知識がないので、当てずっぽうになってしまうが、高梁市単体としての観光事業としての見込みがないなら、岡山県全域の観光として倉敷の町並みと併せて高梁市の吹屋通りの観光として行うことはできないだろうか。
 また、ここ数年中国・台湾・韓国などのここ数年経済的に成長し、生活水準も高い国から留学等で日本各地に在住している外国人も多く、広島・神戸・大阪などの都市部の外国人に向けての方策はできないものだろうか。
 私も外部の人間なので、できることには限りがあるし、街づくりの知識も乏しいかもしれない。が、微力ではあるが無力ではない。この出逢いでまたひとつ勉強させてもらった分のささやかな御奉公として、私も微力ながら街づくりのお手伝いを一考させていただきたい。
平成22年10月30日
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