第 21 号
中岡慎太郎館・龍馬歴史館訪問
「初めての偉人館巡り」
 四国政経塾に入塾し、高知県安芸郡北川村・私にとってここが初の偉人館巡りの場所です。
山々に囲まれた自然豊かなこの場所に中岡慎太郎館があります。中岡慎太郎は、維新の礎を築いた幕末の志士。残念ながらその大業の成就直前、坂本龍馬と共に暗殺され、新しい世を見ることはありませんでした。

 中岡は、龍馬と同郷であり、共に奔走していたにも関わらず、なぜかその功績は広く知られていません。私を始め、大和田塾頭や他の塾生達もその事を疑問に思っていました。
その答えは、中岡慎太郎館を巡り、徐々に見えてきました。
 中岡は幼少の頃より勉学や剣術に秀で、20mの断崖から海へ飛び込む勇気と大胆さを持つ、まさに神童と囁かれるほど優秀な男児でした。塾に見捨てられ、臆病で泣いてばかりいた竜馬の幼少期とは雲泥の差です。
 さらに、中岡は行動力においても優れていました。こんな話しがあります。


 ある時、村を飢饉が襲いました。餓死する者、病に倒れる者が続出しました。この状況を見かねた中岡は、食料収集に奔走し、まずサツマイモを入手します。しかし、これでは到底足りません。そこで中岡はなんと、自家の土地を担保にして米を借り入れ、村民に施しました。さらに飢饉収拾後、非常食用の穀物倉庫を藩に要求し、設置させます。また、内陸部では貴重な塩の代品として、ゆずを大量に生育(現在北川村の特産品)させ、新たな飢饉に備えたそうです。
 私は、後の維新志士中岡慎太郎の政治力と危機管理力の片鱗を見ました。と、同時に驚愕も受けました。なぜなら、中岡はこの当時まだ15歳。これらの事を考えられただけでもすごいのに、それを行動に移して実行してしまうとは驚きです。今の私に、はたしてここまでできるかどうか、考えさせられました。
 数年後、中岡は武市道場に入門し、そこで龍馬と初めて顔を会わします。この時、既に龍馬の剣術は土佐中に知れ渡っていました。中岡は龍馬を目標に稽古に励み、また竜馬も中岡の努力と気迫に感銘し、二人はお互い心許す親友になっていきました。
 その後二人は、武市瑞山の土佐勤王党に参加し、幕末の嵐にのまれていきます。脱藩、貧困、圧力、裏切り、弾圧・・・二人は様々な苦難を味わいながらも、民が自由に暮らせる国を作るという信念の基、日本中を駆け巡りました。
 龍馬は勝海舟に学び、海援隊を組織して経済的視点から無血倒幕を進め、また中岡は、長州の木戸や薩摩の西郷らに協力を説き、陸援隊を組織して完勝的視点から武力倒幕を進めました。
 龍馬は、そこで蛤御門の変以来険悪になっている長州藩と薩摩藩を説得し、両藩に劇的な同盟である「薩長同盟」を結ばせます。歴史が大きく動いたと言われるほど、幕末でも有名な瞬間ですが、私はここでひとつの新事実を知りました。この薩長同盟の発案者が龍馬ではなく、実は、中岡だったということを。
 薩長同盟が締結された時、その場に同席していたのが龍馬だったため、結果的に言えば龍馬が同盟を結ばせたといっても間違いではありません。しかし、長州と薩摩に同盟締結を考案したのは中岡であり、両藩を何度も往復し、説得に説得を重ね、同盟締結直前まで持っていったのも中岡なのです。だが、交渉場所についた両藩代表の木戸と西郷は、どちらも同盟の話をなかなか切り出しません。見かねた中岡は、双方に忠義をもって同盟の重要性を強調しましたが、二人の口は開きませんでした。「このままでは失敗に終わる。」と感じた中岡は、ここで龍馬に助けを求めます。当時、長州は武器・弾薬を、薩摩は不足していた米を、それぞれ龍馬の海援隊から援助を受けていました。交渉開始から10日目、龍馬が席に着き、双方に国民の利害をもって同盟の重要性を強調しました。そして、ついに薩摩の西郷が口を開き、ここに薩長同盟が成立したわけです。つまり、中岡が土台を作り、その最後を龍馬が完成させたということです。
 では、なぜ中岡が失敗し、龍馬が成功したのでしょうか。それは、二人の性格の違いにありました。
 中岡は義を説きましたが、それは言葉のみの説得でした。言葉だけでは崩せない場合もあります。一方、龍馬は言葉に海援隊の武器と食料を上乗せして説得しました。物資を援助してもらってる両藩は断れません。ここがポイントだったのです。
 その後、二人は倒幕の方法を巡っても対立しました。政権返上を促し、前面戦争をなんとか回避しようする龍馬と、あくまで武力を用いようとする中岡。武力征討がほとんどを占める当時、龍馬のような考えは後世に賞賛されます。中岡の功績が龍馬に隠れ、あまり知られていないのはこういう理由だと考えます。しかし、自らの命も顧みず、維新のため、行動し続けた中岡のその姿には感動しました。

 今回の訪問で中岡のイメージががらりと変わり、私自身、勉強になりました。また、塾頭の「そこに行かないとわからない」と言った言葉を改めて理解し、「すべては行動を起こすこと」という政経塾の教えの意義を感じました。

 とても有意義な一日であり、以後の偉人館訪問も積極的に参加したいと思います。
平成15年7月27日
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