第 220 号
中岡慎太郎館 訪問
 6月30日今日初めて偉人館巡りに参加させていただきました。

 記念館に訪問し中岡慎太郎という人物の偉大さに感動しました。訪問するまではテレビ(竜馬伝)で竜馬と共に大政奉還をした人?位の知識しか持っていませんでしたが、観覧していく中で幕末の時代を生き、さらに時代を変えて行く凄さを教えられました。

 慎太郎は幼少の頃より、松林寺で学びわずか7歳で片道90分の山道(向学の道)を歩き島村塾に通い僅か14歳で先生の代わりに授業を教えたと事です。
      

 21歳の時に、土佐に地震、台風が続けて発生、さらに疫病(安政コロリと呼ばれた)流行も追い討ちをかけました。荒らされた田畑や山林、食糧不足のため、貧困さを極めた村民の姿でした。大庄屋見習いとして慎太郎は東奔西走します。中岡家の山林や田畑を担保にし、近村の富豪から米麦を借り入れ、村民に分け与え、また近隣の庄屋を説得し、藩に迫って八百両を借り入れます。さらに田畑の開墾をすすめ、高知から取り寄せた作物の優良品種を無償で配り、耕作の指導を行い、貯蓄をすすめ、共同倉庫を造らせ食物を貯蔵させました。そして、塩がなくても魚にかけて食べることができるゆずの栽培を奨励しました。

 徳川の幕府が弱体化し、武家社会の矛盾がやり場のない怒りとなって民衆の心を動揺させていた時代、幕末。その幕末に中岡慎太郎は、疾風のごとく生き、そして死んだ。わずか29年と7ヶ月の短い生涯ではあったが、維新に果たした功績は計りしれないものだと、思います。

        

 誰もが着眼しなかった薩長連合を坂本龍馬と共に成し遂げたばかりでなく、討幕の為の公家どうしの協力体制を築いたことなど、一片の私心があるわけでなく、公憤に燃え国事にその生涯をささげ尽くした査証です。

 今回偉人館巡りで今まで忘れていた(志を)強く持ち行動したいと思います。
平成24年6月30日
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