第 221 号
坂本龍馬記念館・自由民権記念館 訪問
 8月25日、坂本龍馬記念館・自由民権記念館を訪問しました。
 偉人館巡りや姉妹塾である韓国・機会の学塾の方々が来日した時などあわせると、両館とも何度か訪問しています。

 まず、坂本龍馬記念館を訪問。坂本龍馬については、天保6年1月3日、土佐に生まれ、土佐藩脱藩後、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中・海援隊の結成、薩長連合の斡旋、大政奉還の成立に尽力するなど、志士としての活動や、龍馬の成長に多大な影響をあたえる人物、龍馬の3歳年上の姉「乙女(おとめ)」など、以前の訪問で塾報に掲載させて頂いておりますが、龍馬の偉大さ・魅力など小説や映画・漫画・TVドラマや舞台などで、これだけ注目されていれば国民的人気を誇っていて誰もが知っていると思います。ただ残念な事に、この日は観光客が多く館内を落ち着いてゆっくり見る事が出来ませんでした。

 次に向かったのが自由民権記念館、自由民権運動とは…。

 明治維新によって新しい時代となり、このあたらしい日本をどういう国にしていくのか? このことを真剣に考え、明治政府の目指す方向とは違う道を構想した人々が「明治第二ノ改革」すなわち自由民権運動を呼びかけ、これに賛同する多くの人々が運動に参加した。

 政府が政権を朝廷に返すと、16才の若い明治天皇のもとに新しい政府がつくられました。中心になったのは、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允など薩摩藩や長州藩の出身者と、公家の岩倉具視らでした。1868年、新政府は国家の方針をしめした五か条の御誓文を発表し、江戸を東京とあらため、年号を慶応から明治にかえた。その後、天皇が東京を日本の首都にしました。そして、政治や社会の仕組みをあらためていきました。このように物事をすべて改めることを維新といい幕末から明治にかけての大きな改革を明治維新という。

 1874(明治7)年、薩摩や長州出身者が中心の政治に反対する「板垣退助」らは、国会をつくり、国民から選ばれた議員による政治を行うべきだと政府に要求。政府のやり方に不満を持っていた多くの士族や農民たちに支持され、全国各地に国会開設を求める運動がまきおこり、これを自由民権運動といいます。

 政府は、自由民権運動を抑えようと演説会や出版物などを厳しく取りしまりましたが、その勢いはおとろえませんでした。1881年、政府は10年後に国会を開く事を約束する事になります。

1874

自由民権運動

板垣退助らが国会の開設を要求して政府に建白書を提出

政府の動き

拒否

1875

政府の動き

政府を批判した新聞や雑誌を弾圧するための新聞紙条例を出す

1880

自由民権運動

板垣らが国会期成同盟を結成。国会の開設を求める請願書を政府に提出する

政府の動き

集会や結社の自由を抑えるための集会条例を出す

1881

自由民権運動

板垣らが自由党を結成する

政府の動き

国会開設の勅諭を出す

1882

自由民権運動

大隈重信らが立憲改進党を結成する。板垣退助が岐阜で暴漢におそわれる。各地で反政府運動が高まる。

政府の動き

自由民権運動への弾圧を強める


 1882年頃から、全国に不景気が広がり、生糸や米の値段が下がり、暮らしに困った農民は、高利貸から借金をしましたが、返せなく田畑を失い苦しむものが多く出ました。農民たちは自由党員と結んで秩父困民党を結成。高利貸しに借金の返済延期をたのみ、また郡役所に税金の減額を願い出ましたが、とりあげられなかった。1884年11月、ついに1万人の農民が立ち上がり、郡役所や高利貸しの家をおそい、証文を焼きはらったが、政府の軍隊によってしずめられ、指導者たちは死刑になった。

 自由民権運動が高まると、自分たちの手で憲法をつくろうとする動きが各地で起こりました。人々は欧米の憲法を研究し、独自に憲法案をつくり発表した。その代表的なものが、高知県出身の民権家、植木枝盛がつくった「東洋大日本国国憲按(案)」、自由の権利や人権の保障などがもりこまれていました。ほかにも40以上の憲法案が残っています。

  植木枝盛の草案「東洋大日本国国憲按(案)」

5

日本の国家は、日本人の自由の権利を奪ったり制限したりできない

42

日本人民は、法律上において平等である

49

日本人民は、思想の自由を有する

50

日本人民は、いかなる宗教を信ずるも自由である

72

政府が憲法に違反し、人民の自由や権利をおかしたりしたとき、日本人民は、政府をたおして新政府を建設することができる


 憲法をつくり国会を開こう、税金を安く、言論や集会が自由な世の中にしようと彼らは訴え、運動は全国に広がり、日本で最初の国民的な民主主義運動になり、その中で「自由は土佐の山間より」と言われるように、土佐の人々は大きな役割を果たしました。

 先人達の多くの人が苦労をかさね生まれた民主主義政治、今の日本の政治はいかがでしょう?
 現在の日本政治は、国会は政権争いに明け暮れて、国民の為の政治をうたい文句にして生まれた民主党はバラバラ、他の党は政権争い、選挙一色、又、地方政治に置いても住民の為の政治が行われているのか疑問が残ります。箱物政治は、今、多少の経済効果は有ると思いますが、今の自分達の町のためを考えるのではなく、今そして将来の自分達の町の姿をよく考え行わなければ、将来の子供達に借金を残すだけの町が生まれようとしています。現在も過去に行われた、箱物政治(維持、管理費等の費用が永遠にかかる)のツケを処理している市町村等が多く有ると解っていながら、同じ事を繰り返し行おうとしている。

 私たちの町に、これから実際に何が必要とされているのか、町の発展、そして市民のための住み良い町づくりをもっとじっくり考えてもらいたい。
 私たちの町にとって、今後の行政が50年、100年後の人達が喜んでくれる、市政が行われる事を期待致します。
平成24年8月25日
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