第 226 号
幻 一“ 羅漢さん展 ”
 921日(金) ~ 22日(土)、幻 一 木版画・墨彩画“ 羅漢さん展 ”を訪問しました。展示会場は、兵庫県姫路市=ギャラリーぼんぼりで開かれました。そもそも、この展示会を訪問する事になったのは、四国政経塾の支援企業さんでもある「寿司・割烹 ほそ川」さんがきっかけとなります。お客さんを連れ、ほそ川さんで食事をする事となり、予約をした所、偶々通された部屋に“ 羅漢さん ”の木版画『遊・あそぶ』が飾られていました。大和田塾頭がその羅漢さんの画に引かれ、店の大将を部屋に呼び出し、羅漢さんの画の事をいろいろ尋ねました。話をしているうちに、その羅漢さんの画に興味が深くなり、画を描いた人を訪ねたところ、その方が幻 一さんでした。数日が経った頃、大和田塾頭が幻さんと連絡をとり、何点かの掛け軸や、絵本「わらべとチャチャの般若心経」等を購入したり、またフェイスブックや電話などのやり取りをしている中、今回姫路市で羅漢さん展が開かれるという事で、訪問する事になりました。また、せっかく展示会に行くのなら、展示品を見学させて頂くだけでなく、幻さんとゆっくり話をしたいと、大和田塾頭が幻さんと食事でもしながら話が出来ないかと、話を持ちかけ食事会が出来る事になりました。

 21日、姫路市までは約2時間程度で行けるため、塾をAM10:00頃出発。昼過ぎに姫路市に到着しました。姫路までの道中、塾頭からいろんな話をしてくれました。宗教の事や、お墓や仏壇、お坊さんの話など、いろんな話を聞いている途中、幻先生から一本の電話が入り、今日は楽しみにしています、お酒を囲み楽しいお話をしましょうと掛けてくれました。まだ一度も会った事がないのになんて気さくな方なのだろうと感じました。
 展示会場に着き、会場に入ると受付に幻先生が一人おられ、まず幻先生に自己紹介をし、展示品を見学しました。失礼かと思いますが、正直自分のイメージしていた展示会とは少し違い、会場には幻先生が一人しかおらず、また会場内はこぢんまりとしていて、展示品の数が少ないのではというのが会場に足を踏み入れた第一印象の本音です。ですが、作品いってん一点は人間の心の内面を現わした画ですから木版画には、それぞれ「生」いきる、「愛」いとしい、「釣」つる等といった作品が十数点あり、また墨彩画にもそれぞれの意味があり何十数点か展示されていました。いってん一点見ていると時間が流れ、気が付けば昼食を取るのも忘れていて、ふと時計を見るとPM2:30を過ぎていました。展示会と言っても数多くの作品を並べても意味がない、木版画に描かれた意味、墨彩画の書かれてある意味を、自分の心で見て考えるにはちょうど良い展示数だった。それぞれに展示品を見学し、また日めくりカレンダーや羅漢酒 画箋集、般若心経 絵本などを購入しました。夕食は一緒にと約束をしていたので、とりあえず約束の時間までホテルで待つ事にし、ホテルに向いました。
 夕刻6時頃に展示会場まで来てほしいと、幻先生から連絡が入り、ホテルから会場まで近かったので、歩いて会場に向かい、会場から幻先生と一緒に夕食会場へ・・・。この夜は、いろんな話が聞けました。

 幻先生は、もともと子供の頃から絵を描くのが好きだったそうです。学生の時に、ある先生との出会がきっかけで美術専門に進みたかったけど、六人兄弟の末っ子という事もあり進めず、サラリーマン生活をしていました。サラリーマン生活の中、「五百羅漢」を始めます。

 1979年「五百羅漢」制作始める。1981年、京都・平安画廊にて「羅漢さん」第一回展示会を行う。禅宗のお坊さんと知り合い、その方を生涯主将としていろいろ教わり、幻先生もお寺に通い禅宗の修行をされたそうです。1993年に、久美浜町 片山町長の「体とこころの健康」提唱に賛同し、「こころの森」建設発願する。1997年、全五百羅漢作品完成。「五百羅漢完成記念全国巡回展」を開催。以来、全国と共に世界各地を巡り「こころの森美術館」建設運動の呼びかけをする。2000年「わらべ羅漢」制作始める。2003年、NHK姫路支局にて「羅漢さん展」と全国で初講座「顔とこころ・喜怒哀楽を描く講座」を開く。2010年には、絵本「わらべとチャチャの般若心経」英語併記版出版記念全国巡回展。2011年、東日本大震災義援金チャリティー全国巡回展。海外展では、アメリカ・ロサンゼルス、カナダ・モントリオール、イギリス・ロンドン、オランダ・アムステルダム、ドイツ・フランクフルト、メキシコ・グアダラハラ、アメリカ・ニューヨーク、メキシコ・メキシコ市、グァテマラ、台湾・台北、アメリカ・ウィスコンシン、コスタリカ、エルサルバドル等と、世界中を渡っています。

「こころの森」とは、“ 笑って、人生楽しく ”とテーマに掲げ、人生楽しくとは、日本の和(なごみ)の文化を世界、そして次世代に伝えるという理想を基に、『こころの森美術館』を中心に、芸術・医療・福祉村・工芸村の三つの村から構成されます。

 こころの森構想
 ① 総合医療ボランティア・バンク
   産科医 内科医 外科医 精神科医 看護師 介護福祉師
 ② 芸術家ボランティア・バンク
   美術 音楽 演劇 文学 映像 芸能 アニメーター
 ③ 農林業ボランティア・バンク
 ⑤ 料理人ボランティア・バンク
 ⑥ 日常会話・手話を教えられる人のボランティア・バンク
   中国語 スペイン語 韓国語 イタリア語 英語 日本語 その他
 ⑦ スタッフのボランティア・バンク
   コーディネーター 活動アシスタント 運営・管理 コンピュータ関連

 幻先生は、20年前から、「こころの森美術館」を造りたいと、各地の皆様に展示会をしながら、夢を語っていました。おかげさまで、美術館を運営管理する NPO「こころの森」設立の申請準備が進められ、来年春頃に会館を目指しているそうです。「こころの森美術館」は、世界の芸術家、版画芸術に焦点を当てた、世界でも希な版画専門の美術館となる予定で、また、京都府下で初めての美術館となるそうです。
 美術は、人生の糧となり、また、その感動は人々を奮い立て、人生に彩りを与え、国や宗教、人類や障害の垣根を取り払い、人々のこころを繋いでくれます。そういった意味もあり、「こころの森美術館」は、四季折々、丹後の自然に囲まれて、地元の皆さんや観光客の皆さんと共に芸術に親しみ、国・人類・宗教を越えて、集い・語り・人生を楽しむ「人と人とのご縁を結ぶ」出会いとの再会の場を提供する美術館だそうです。
 幻先生から、子供の頃から今までに至るまでの人生、また美術館の事を話しを聞かせて頂きました。そして、先生の話には苦労という影が見えず、常に感謝、皆様のおかげですという気持ちでいらっしゃいました。先生の生き方は必ず苦労はしていると思います。しかし、その苦労を、苦労と思わせない生き方に、先生の凄さを感じました。人生において必ず苦労はあります。できたら自分も、苦労を苦労と思わず生きていきたいと思います。
 幻先生とお別れしたのが9:30頃でした。先生と別れてからホテルまで帰ろうとしましたが、何処でどのように間違えたのか、恥ずかしい話ですが地図を持っていながらも迷子になりました。ホテルの位置はだいたい解るのですが、昼間と夜とでは周りの風景が全く変り、店を出てから3040分歩き回りました。道が解らないと途方にくれていた時、前方に一人の女性が歩いていました。大和田塾頭が、私が女性なので尋ねろと・・・。私はその方に地図を見せながら道を尋ねました。その女性は地図を見て周りを見渡し、連れて行ってあげますと、地図片手に道案内をしてくれました。しかし、その女性も道を歩きながら、「これはあそこだから、ここを・・・」少し歩いていると、なんだか申し訳なかったのですが、彼女も歩いている内に解らなくなったのか、「愛媛から来た人がな、道に迷ってんけど・・・」と、知人に電話を掛けていました。そうこうしている内に、幻先生の展示会ギャラリー付近にたどり着き、そこからホテルへと道が解り、ホテルに到着しました。到着後、彼女にお礼をしなくてはと、住所と名前を教えてもらい、その夜は歩き疲れ、私は、1時過ぎに床に就きました。
 私たちは、彼女に出会わなければあのまま1時間程、迷っていたのではないのかと、そして、挨拶さえできない人が増える今、道を尋ねても「そこを右に、左に」と、説明だけで終わるでしょう。一緒になって訪ねた場所に連れて行ってくれる方は、なかなか居りません。今の時代、彼女のような方がおられた事に感謝しています。大石命さん本当に有難う御座いました。後日、大和田塾頭の名前でお礼お手紙を書かせて頂きました。

 翌日帰宅日、本来なら再度会場へ行き、お礼をして帰るところだったのですが、大和田塾頭に急用の電話が入り、幻先生にお礼の電話で失礼をさせて頂いて、四国へと帰る事になりました。

 今回の訪問で、幻先生との出会いのきっかけをつくって下さった大和田塾頭、そして、幻先生には貴重なお話が聞けて、本当に感謝いたします。最後になりましたが、同行していた石村さんには、道中の運転本当にご苦労様でした。帰る時なんかは、前夜の迷子でかなり足も疲れていたはずでしょう。本当に有難う御座いました。
平成24年9月22日
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