第 231 号
上村珠美さん来塾
 113日(土)、上村珠美さんが塾を訪問するという事を大和田塾頭から話がありました。上村さんが塾を訪問する事に成ったきっかけは、まず、去年の12月に今治フォーラムに参加した時に、白石とおる先生からの紹介で、上村さんと知り合ったのが始まりです。上村さんは、歩く事ができず、車椅子が必要だと聞かされていました。それから後、大和田塾頭とフェイスブックやメールでのやり取りの中、聞いた話ですが少し面白い話になりますが、突然、かつおのタタキが食べたくなり、高知にタタキを食べに行き、突然うどんが食べたくなったので、香川の讃岐うどんを食べに行き、どちらの県も上村さんの考えでは日帰りできるものだと考えていたようですが、日帰りできず泊りになったそうで、考えが浅はかだったと…聞きました。今度は愛媛にという話から、愛媛に来るのなら、是非、政経塾にもお寄り下さいと、大和田塾頭がお話ししたところ、以前から上村さんは政経塾を見学したかったとお聞きしていたので、上村さんの来塾が決まりました。

 上村さんを迎えるにあたり、色々と話し合っていました。まず、塾の教室や事務所は2階です、車椅子の上村さんをみんなで抱えて階段を上がるのか、もしくは上村さんをおんぶして上がるのか、教室に入ってから、室内用の車椅子が必要ではないのか、また、上村さんから、以前TVで報道されていた展望台からの夜景を見たいと要望があったので、展望台に行き車椅子で行けるのか、展望台については、実際に行ってみると、車椅子では少し無理があると判断し、それなら長谷寺は宿泊も可能だし、夜景も展望台からの夜景にほぼ変わらず、夜景を楽しむ事もできる為、長谷寺に宿泊してもらうこと等と、上村さんが来るまで色々と話し合っていました。ですが、そんな心配はいりませんでした。
 上村さんが塾に到着、黒のワンボックスカーから村上さんが出てこられた時、杖を片手にさっそうと車から出てこられ、歩行が困難で車椅子と聞かされていたので、正直驚きました。少しならゆっくりではありますが、杖で歩く事ができ、車椅子の事も、夜景の事も、私たちの心配はいりませんでした。
 階段をゆっくり上がり教室へ上村さんは自分の足で上がられました。また、足の不自由な上村さんが、どうやって自転車に乗れるのか…と、自転車まで用意してくれていて、まず、自転車からの話が始まり、足が不自由になったことや、自転車に出会った喜び、体験談など色々話をしてくださいました。

 上村さんは、15歳のとき、足にしびれが走り、検査を受けると、脂肪が脊髄の神経を圧迫する病に罹り、その後3回の手術を受け、30歳を過ぎた頃から杖が手放せないなり、潜在性二分脊椎・脊髄脂肪種による下肢麻痺が6年前から悪化。上村さんの両足は、サポーターを巻かないと立つ事も、杖なしでは歩行も無理です。表現が難しいのですが、力が入らない両足は、サポーターを外すと、足がぶら下がった状態です。病で歩行が難しい上村さんが、ロード自転車と出会い、またどのようにしてロード自転車に乗ることができるのか、上村さんの説明で知ることができました。ロード自転車は元来、専用の靴の裏とペダルの金具をかみ合わせ足を固定、力の入らない両足に上村さんは、サポーターを巻き、大きめの靴を履いて、バンドで締めれば、ペダルを踏み込むことができます。では何故ロード自転車に出会ったのか、3回の手術を受け、30歳を過ぎ杖が手放せなくなった上村さんは、周囲の視線が気になり、近くのコンビニでさえ行くのが嫌になり、仕事で見せる明るさとは裏腹に、家ではふさぎ込む生活を4.5年送っている中、2010年に瀬戸内しまなみ海道のサイクリングイベントを知り、多島美を眺めながら走ったら、どんなに気持ちがいいだろうと、インターネットで自転車を購入。上村さんは走る喜びをロード自転車で手に入れ、昨年秋は100㌔余りを走る大会に参加。また200㌔を走る大会への出場に向けて走り込んでいます。大会に出るまでには、自転車を買ってから日々練習に励みます。私たちがロード自転車に乗り、転倒しかければ、ペダルにかみ合わせた金具を簡単に外す事ができますが、足に力が入らない上村さんは、固定された足をペダルから外す事も、また自転車から飛び降りる事もできません。じゃ転倒しかけた時どうするのか?その時は、観念し自ら自転車と共に転ぶそうです。その為いつ転倒してもいいように、ヒジ・ヒザにプロテクターを着用しています。練習で何度も転び、徐々に距離を伸ばし、しまなみ海道も走り、昨年秋には石川県であった大会、9時間半かけて124㌔を走破。124㌔といっても、四国中央市から松山を超え、伊予長浜までの距離です。その距離を自転車でしかも上りもあれば下りもあり、私には想像すらできない距離です。しかも上村さんは、走っている道中、とても辛く、ゴールする時は泣きながらゴールしたそうです。しかし、走破した後とても辛い道のりだったが「自信になった、今までの悩みが、小さく感じられる」と、また、自転車との出会いが、全国に自転車仲間ができ、家族からも「自転車に出会ってよかったね」と励ましてもくれる。病で歩行が難しい上村さんにとって自転車との出会いが「風を感じ、景色を楽しみ、どこまでも走れる。また自転車で世界が、ぐっと広がった」ハードルは高いほど面白い、上村さんの目標は200㌔走破と中国新聞の記事に出ていましたが、上村さんの話の中に「自分の中に、一つの目標を立て、やり遂げることを、常に自分の意思に叩き込む」と話があり、また、上村さんが帰り数日後、お礼を兼ねてメールを送らせて頂いたのですが、返事が返ってきたメールには『私はこのような身体になりましたが、試練と言うより、他の人にはなかなか体験できない「面白い人生」を神様から与えられたと思っています。それはとてもラッキーです。面白いと思うか、思わないかは人それぞれで、面白いと思ってしまえば、幸せです』と、このような返事が返ってきましたが、来塾された時の話も、メールの上村さんの言葉も、私自身、正直心に打撃を受け、上村さんは、何事にも前向きな姿勢で、苦を苦と思わず、常に前進し続ける上村さんの話を聞き、とても恥ずかしい気持ちと、自分自身が情けなく … 、満足な身体で、人並みの生活を当たり前に生きている人よりも、自由にならない両足を抱えても、人には体験できない面白い人生と言う、上村さんはとても輝いていて、今までの自分は何をしていたのだろう、そして、今から自分はどうあるべきなのか、もの凄く考えさせられ、勉強になりました。

 最後になりますが、私たちの為に、大変貴重な時間を与えて下さったことを心から感謝いたします。有難う御座いました。
平成24年11月3日
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