第 245 号
中岡慎太郎館 二度目の訪問
 平成25年2月23日()二度目の中岡慎太郎館を訪問しました。前回の訪問では、中岡慎太郎の幼少時代から亡くなるまでの生い立ち・行動・人脈の開拓・志を、垣間見ただけでしたが、二回目の訪問では、塾頭が言っていた様に見るところや、気になる所が一回目と違っていたことが不思議に思いました。二回目になると、中岡慎太郎の家族・故郷・日本に思う気持ちを改めて感じました。

        

 資料の中で「郷を、家族を、名を捨ててまで得ようとしたもの」
 土佐謹王党に加盟して、諸藩の勇士と大いに交わり、国事に莽走する慎太郎。しかし、一藩勤王の武市半平太の路線は、山内容堂の強烈な弾圧によって断たれた。
 そのとき、慎太郎の胸に去来したものは・・・・。大庄屋として農民を守り、北川郷の発展を願う気持ちと、大道を歩み、維新回天に身を捧げたいとする心。二つの思いが相克し、結果、脱藩に至る。
 家族を置いて、脱藩のことを打ち明けないまま訣別する慎太郎は、哀惜と罪科の心に苛まれたに違いない。
 その心情を悟っていたかのように、妻兼は「嵐山 たかねの桜 おりかざし 帰れわが背子 花ちらぬまに」と哀別の歌を詠んでいる。慎太郎は、妻を捨て、家を捨て、生命までも投げ捨てて、自分が何かをしなければと思う志で行動したと思うと、自分は一回目の時に見て感じ思った。
 今回の偉人館巡りで得たものには、数え切れないものがあります。まずは自分自身が出来ること「全ては行動をおこすこと」という教えを実行していきたいと思います。と自分なりにこの何ヶ月間振り返って見て出来ていたのか、出来てないのか、を考えると「悩んでいても前には進めない、まずは行動から」と塾頭の言葉を思い出しながら自分なりに行動してきたと思います。まだまだ結果や実績が出ていませんが、自分の中に志(目標)を持ち行動していこうと今回の訪問で改めて思い考えました。
平成25年2月23日
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