第 252 号
~萩・津和野 偉人館巡りに参加して~
 6月の研修は、6月29日(土)、30日(日)の2日間「萩・津和野」にて実施、今研修は、明治維新からの長州の役割等を中心に見聞すると決めていた。

 今回の研修は、
 ● 第1日目・6月29日(土)
   ◎秋芳洞 ◎萩城下町 ◎松下村塾・吉田松陰歴史館
 ● 第2日目・6月30日(日)
   ◎津和野=津和野カトリック教会・養老館・太鼓谷稲成神社
       葛飾北斎美術館・マリア聖堂・森鷗外旧宅
 以上の施設を訪問、今も残っている武家屋敷や豪商屋敷の町並みや記念館等「維新の町・長州」を中心に見て回った。
 この中で特に維新の町・長州である山口県から生まれた、吉田松陰 高杉晋作 田中義一 木戸孝充 伊藤博文 岸俊介 佐藤栄作等の偉人は、なぜ生まれたかに注目した。
(※いずれ現・安倍総理もが加わるのでは?)
 土佐・高知県から坂本龍馬、中岡慎太郎、板垣退助などの偉人を輩出、長州・山口県からは吉田松陰 高杉晋作 田中義一 木戸孝充 伊藤博文などの明治維新の中心的役割を果たした偉人を輩出したがこれら両県(藩)に加えて薩摩・鹿児島県は、なぜ、明治維新の中心的役割を果たした偉人を輩出したのか。
 長州である山口県から生まれた明治維新の中心的役割を果たした偉人を輩出についは、人を愛し、国を愛し、至誠を貫いた吉田松陰が自分の学問修行を行った「松下村塾」にその原点があるのではないか。
「松下村塾」は、吉田松陰の叔父・玉木文之進が天保13年(1842年)に自宅で私塾を開いたのが始まりで、ついで久保五郎左衛門が継承し安政4年(1857年)28歳の松陰が継ぎ、身分や階級にとらわれず塾生として受け入れ、僅か1年余りの間であったが久坂玄端、高杉晋作、伊藤博文など明治維新の原動力となる多くの逸材を育てた。この「松下村塾」は、当時、この地域が松本村と呼ばれていたことから「松下村塾」という名がつけられた。
 吉田松陰は、中国「孟子」や江戸において西洋兵学者・佐久間象山、尊皇思想を中心とする水戸学の影響等の強い影響を受け、塾生に対しては「自分の学んだ知識をどう実践かが大切だ」と説いた。
        

 これらの教えは、「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」※人は、真心を持ってすればどんなものでも感動しないものはない。「かけまくも 君が国だに 安かれば 身をすつるこそ 賤(しず)が本意也」※日本の国が安全に栄えれば自分の命は、捨ててもよいの言葉や歌等において人を愛し、国を愛し、至誠を貫いた吉田松陰の教えが維新の町・長州である山口県において明治維新の中心的役割を果たした偉人を輩出した原点ではと考えてしまった。
平成25年6月30日
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