第 256 号
犬養木堂 記念館訪問
 720()、偉人館巡りの為、岡山市にある、犬養木堂記念館を訪問。朝10時塾を出発して、記念館へ向かいました。記念館は、駐車場から少し離れた場所にあり、記念館に向かう途中、木堂の墓(犬養家一族)がありました。犬養木堂記念館は、国指定重要文化財の旧犬養家住宅(木堂生家)と犬養木堂の資料を展示している木堂記念館です。

 犬養 毅は、号を木堂と称し、明治から昭和にかけて、政党政治の確立などで活躍した岡山県出身の政治家。昭和6年に76歳で第29代内閣総理大臣となり、翌年5月15日、首相官邸において、海軍青年将校らの凶弾に倒れました。また彼は、書にもすぐれ、中国の政治家などアジアの人々とも親交があり、情に厚い政治家としても知られています。

 安政2年(1855)4月20日、備中国庭瀬村字川入(現・岡山市北区川入)の大庄屋犬飼家(後に犬養と改める)において、父 源左衛門、母 嵯峨の次男として生まれた。父は庄屋を努めるとともに儒学者でもあり、毅の5歳頃から漢学、10歳頃から犬飼松窓の三餘塾に入り経学を学び、すぐれた才能を発揮。明治元年(1868)13歳の時に父が病死。自宅門脇で塾を開くが、犬飼松窓が明治初めに倉敷の明倫館へ招聘されると、母方の緑戚の家から松窓のところに通った。東京で漢学を学ぶための資金を得るため、明治5年(1872)17歳で小田県庁地券局(現・岡山県笹岡市)に勤務。ここで、万国公法(いまの国際法にあたるもの)に接し、洋学に魅了される。
 明治8年(1875)20歳で上京。湯島の共慣義塾に入学、翌年慶應義塾に転学。学費、生活費を得るため「郵便報知新聞」に寄稿。明治10年(1877)22歳の時、郵便報知新聞の従軍記者として西南戦争の戦地に赴き、戦地ルポ「戦地直報」を発信し名声を博した。その後、明治13年(1880)に慶應義塾を中退、8月に「東海経済新報」を創刊。
 明治14年(1881)7月、26歳、統計院権小書記官となるが同年10月大隈重信らとともに退官。明治15年(1882)には、郵便報知新聞に戻り、有力記者となる。また、この年東京府会議員補欠選挙に当選。(明治23年の退官まで改選ごとに当選)明治16年(1883)28歳、「秋田日報」の主筆として4月から11月まで秋田へ赴き、帰京後、郵便報知新聞に復し、明治18年(1885)には、朝野新聞に入社、幹部として活躍。
 政治家として、明治15年に立憲改進党の結成に参加、以後、中国進歩党、進歩党・憲政党・憲政本党・立憲国民党・革新倶楽部・立憲政友会に所属。明治23年(1890)第一回衆議院議員選挙で岡山県第三区(賀陽・都宇・窪屋・下道郡)から出馬し当選、以後亡くなるまで連続19回当選し、日本の憲政の確立、藩閥の排除、普通選挙の実現などに尽力し政党政治の確立に貢献。憲政擁護運動(大正初めに起こった)では、先頭に立ち尾崎行雄とともに「憲政の神様」と称された。また、明治中頃から、日本に亡命していた中国革命の父孫文や康有為、朝鮮の朴泳孝などアジア各地の人々とも親交をもち、陰ながら彼らの支援を行った。
 大正14年(1925)に普通選挙法が通過、成立すると革新倶楽部を立憲政友会と合同させて政界引退を表明、議員を辞職したが、自身の補欠選挙で地元岡山の支援者が当選させ、彼らの懇請によりやむなく受諾。しかし、政界ではあまり活躍せず、長野県富士見にある別荘『白林荘』などで悠々自適にすごしました。この間、明治31年(1898)43歳の時に文部大臣(大隈内閣) 大正12年(1923)68歳の時に、逓信大臣兼文部大臣(第二次山本内閣) 大正13年(1924)69歳の時に、逓信大臣(加藤内閣)を歴任した。
 昭和4年(1929)74歳の時、田中義一が急死したために、国民の知名度が高かった木堂が政友会総裁に就任。昭和6年(1931)満州事変や十月事件などが起こり、社会情勢が不穏な中、12月76歳で第29代内閣総理大臣となり犬養内閣を発足。満州事変の収拾や経済不況、政界の網紀粛正など、民衆の期待を背負って難局に当たった。しかし翌昭和7年(1932)5月15日、首相官邸において海軍青年将校らの凶弾に倒れた。この犬養首相の死で戦前の政党政治に終止符が打たれました。
 木堂は「話すこと、議すること」を信条とする政治家であり青年将校に対して言った「話せばわかる」という言葉は有名です。                   説明パンフレット参考

 木堂生家
 犬養家は代々この地方の大庄屋や郡奉行を務める旧家であった。現在の建物は、昭和51年に犬養家から岡山県に寄贈され、㈱大本組の創業70周年記念事業として無償施工により解体修理され、柱や梁の跡形をもとに正徳年間(1711~1716)四代目源左衛門の代に建て替えられた姿に復元されています。解体修理前は、19世紀初め頃に改造されるなどかなり変更が加えられています。

             
        

 木堂記念館は、なまこ壁に囲まれた路地が設けられていて、その両側に常設展示室と企画展示室があります。犬養木堂の遺品・写真・手紙や書などが展示され、演説「新内閣の責務」内閣総理大臣 犬養 閣下、約6分間の木堂の声を聞く事ができます。是非皆さんも一度、木堂記念館を訪問してください。
平成25年7月20日
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