第 276 号
『自由民権記念館』
 土佐の自由民権運動は「自由は土佐の山間より」と言われるように、近代日本の歴史に大きな役割を果たしました。この日本最初の民主主義運動における経験は高知市民の誇りになって、その意義を現代の私たちに引き継いでいくための歴史資料を広く収集・保管・展示された博物館です。
 拝観して、展示されている歴史の真実に遭遇して本当の歴史認識を新たに持つことが出来ました。それは、義務教育で学んで信じていた「自由民権運動」と「板垣退助の人物像」とは別の知らされていなかった、多くの活動家と同志達と命を懸けて民主主義国家に国を変えようとした史実を確認する事が出来ました。
 今回の来館が初めてですが、幕末から明治維新を教科書で習ったのは45年前の事です。しかし、「幕末の自由民権運動の発祥から現在の民主主義国家の実現」の歴史をもう一度、勉強して「私に何が必要なのか、どうあるべきか」を考える機会にしたいと思いました。

 今回は、「憲法」について述べます。
 日本国憲法は、ドイツの憲法が原案と思っていましたが、植木枝盛の起草の「東洋大日本国々憲案」が明治14年に立志社の草案で実在していました。
 この憲法の起案に述べられた国民の自由と権利、そして義務の憲案が取り入れられ、大日本帝国憲法では植木枝盛の「国民の権利の条項」が示されています。そして、現在の日本国憲法にも「国民の権利と義務」でも植木枝盛の原案がそのまま受け継がれて民主主義憲法に活きていることに感銘を受けました。
 植木枝盛の「無天雑録」に『未来が その胸中に在るもの 之を青年と云う』自由民権運動は、まさに近代日本の青春でした。しかし、青春の理想はついに実現しませんでした。その後、日本はアジアの国々を侵略して大きな被害を与えました。そして、敗戦後の日本の新しい時代が到来して、民権派の憲法草案が生かされた日本国憲法を誕生させた事実、自由民権運動が目指した民主主義日本の実現は、国民と民権運動の活動家の理想でした。この理想が日本国憲法の理念となり受け継がれていることに深い感銘を受けました。
 最後に、私はこれらの史実を繰り返し訪れて、もっと多くの資料を読んで知ることを続けたいと思います。資料館で知った、民権ばあさん、板垣退助、片岡健吉、後藤象二郎、植木枝盛の他、多くの活動家についてその人物像・志について学びたいと考えています。
平成26年6月21日
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