第 298 号
ジョン万次郎資料館 訪問
 820日、ジョン万次郎資料館へ訪問しました。当初は、四国内の為日帰りでもいいと思っていましたが、往復の時間を予測してみると、せっかく資料館を訪問しても帰りの時間を気にしながら資料館を見て廻っても意味がないので、前日19日に、四万十市中村で泊り、資料館を訪問する事となりました。

 20日、9時頃ホテルを出て資料館に向かいました。資料館までの道のりは、四万十川を眺めながら進んでいくと海岸に出て、波しぶきを眺めながら足摺港へ向かいます。道中の景色はとても素晴らしいものでした。ジョン万次郎資料館は「海の駅あしずり」施設内にあります。資料館には何度か訪問していて、振り返ると前回もそうでしたが、なぜか暑い時期に訪問していました。当初資料館は、足摺岬の方にありましたが、移転後の資料館へは、2度目の訪問です。

 万次郎は、文政10(1827) 11日、土佐・中ノ浜の貧しい漁師の次男「中濱万次郎」として生まれました。万次郎が9歳の時に父親を亡くし、病弱な兄にかわって幼い頃から下働きに出ていました。天保12 (1841) 14歳だった万次郎は、自分の判断で漁師の見習いになり、宇佐から仲間5人と共に初漁に出てそのまま遭難してしまします。数日間漂流した後、太平洋に浮かぶ無人島・鳥島に漂着して、一人は足にケガをしてしまい、島には草木も無くもちろん食べ物も水も無い島、万次郎達5人はその島で143日間の過酷な無人島生活をおくりました。食べ物も無く水も無い島・・・、食べ物等は“アホウドリ”の肉を海水で洗い干し肉にし、荒地にわずかに生えた“イタドリ”等、飲み水はさらに状況が厳しく、手桶や貝殻に雨水を溜めかろうじて乾きをいやす程度、その過酷な中の143日間、万次郎達が漂流したとされる鳥島を調べてみました。

 鳥島は、伊豆諸島の島=無人島。全島が国の天然記念物(天然保護区域)に指定されています。特別天然記念物アホウドリの生息地としても有名。鳥島とされる島は他にもあり、他の島と区別して、特に伊豆鳥島とも呼ばれ、東京都に属しますがいずれの町村にも属さない。東京都直轄であり、都総務局の出先機関である八丈支庁が管理している。
 鳥島は、第四紀に活発な活動をしている第四紀火山であり、記録に残っているものだけでも1871年から2002年にかけて噴火が確認されていて、19029日間の大噴火では、アホウドリ捕獲のために移住した島民125人全員が死亡。
 また、江戸時代の無人島時代には多くの船が鳥島に漂着していて、土佐の船乗り長平(野村長平は、アホウドリを食いつなぎ12年間生活し、後から漂着した者達と一緒に船を造って青ヶ島に脱出したとされています。そして、ジョン万次郎達も漂着。この島に漂着し脱出できた者の記録は15例以上あるそうです。
 現在の鳥島=伊豆鳥島は、定期便はないが、八丈島から船のチャータもしくは、ヘリコプターのみ。1902年の噴火で島北部に兵庫湾と呼ばれるマールができ、大正から昭和初期にかけて港湾として使用されていましたが、1939年の噴火で埋まってしまいました。島の西岸の初寝崎にはかつて気象庁が整備し、現在は僅かに一部が残っているA港、B港がありますが、接岸はゴムボートのみ可能で、島の周囲は暗礁が多く、近づきすぎて座礁する船も少なくないそうです。鳥島は小笠原やグアム方面へ向かう航路上に位置し、アホウドリを観察するために大型客船がすぐ沖合を周遊する光景がよく見られるようです。島への上陸は、島全域が天然記念物に指定されているため、許可を得た者のみが上陸できます。
 万次郎達は、上記調べた鳥島に漂着から143日後仲間と共にアメリカの捕鯨船「ジョン・ハウランド号」によって助けられました。捕鯨船のホイットフィールド船長に気に入られアメリカに渡ります。アメリカで学び、アメリカで生活していく中で様々な経験をします。アメリカから帰国後、政治・文化・先進技術を日本に伝え、また、その豊富な知識で、次の世代を担う多くの人材を育成します。ジョン万次郎が教え、指導した人々は、明治維新後に政治や教育の分野で活躍しています。土佐藩の藩校では、岩崎弥太郎や後藤象二郎も万次郎の講義を受けていたと伝えられています。
 前回の記事では、ジョン万次郎は遭難し、捕鯨船 ジョン・ハウランド号に助けられ、船長と共にアメリカで暮らし、異国で見聞きする全てのものに驚き、日本の皆に知らせたい一心から、彼は寝る間を惜しんで熱心に勉学に励み、帰国後も日本で活躍しています。ジョン万次郎の人生は「決して諦めない」という事も教えてくれています。絶望的な状況にあっても最後まで諦めないという万次郎の精神力が無人島からの脱出を実現させる。それは、島の近くを通りかかった捕鯨船に気づいてもらえず、仲間の誰もが諦めた時、万次郎ひとりが諦めずに島を約3kmも走り、船に合図を送り続けたと伝えられています。
 どんな、境遇に遭おうとも、絶望的な状況にあっても万次郎のように「決して諦めない」という真の心を持つ事を学びました。何事も決して諦めなければ、必ず道は開ける。と書かせて頂いていますが、今回資料館を再度訪れ、無人島・鳥島を調べてみて、自分が万次郎のように遭難したら・・・と想像してみると、万次郎達のように食べる事や水分を補給しなくてはと考え、生きるために知恵を絞り考えようとするが、調べた無人島の画像を見たら143日間という日々は考えられません。助けなどこない不安、絶対自分は島で死ぬんだと、死の恐怖、諦めないという感情よりも、悔しさ、恐怖の感情に押しつぶされこの世を去っていく自分の姿しか想像できなかったのが本心です。ですが、どんな状況に置かれた時にも、自分自身に真の強さを持ち、信じる強さ、そして諦めないという事を改めて考えさせられました。
 ジョン万次郎達を救助したホイットフィールド船長は、万次郎を米国のマサチューセッツ州フェアヘーブンの自宅に温かく迎い入れ教育を受けさせ、共に暮らしていましたが、資料館の入口は、共に暮らした家を真似であるエントランスを潜り様々な資料が展示されています。
 万次郎が43歳のとき、21年ぶりに再びフェアヘーブンを訪れます。昔と変わらない温かい船長の家族、フェアヘーブンの人たち、万次郎は恩返しをしたいと思い『世界に向かって日本を開くことだ。アメリカ人、日本人という区別はない、やさしさや思いやりによって人々はつながるんだ』と。今でもこの心で、船長と子孫であるホイットフィールド家と、万次郎の子孫である中浜家の人たちはつながっています。と資料に書かれていますが、資料によると、現在も建物は残っていて、米国にある船長の家は日米交流の拠点として友好記念館となっています。その他、万次郎が通ったと伝えられるユニテリア教会やオックスフォードスクール (通称:ストーンスクール)等が残っており、何時か行ってみたいなと思う・・・。

 ジョン万次郎資料館の次に、中土佐町久礼にある“久礼大正町市場”に向かいました。この大正市場も何度か行きましたが、以前伺った時に市場のおばさんが、午後の2時頃なら、一番賑やかな時間帯だよと教えてくれていた為、今回は時間の余裕があったので2時半頃に市場に行く事が出来ました。市場には、太平洋で獲れる新鮮な魚はもちろんの事、地元農家のおばちゃんたちが育てた、旬の野菜や果物・山菜の水煮や塩漬け・魚の姿寿司・手作りお惣菜など、美味しいものがたくさん並んでいて、観光客の中には、その場で刺身にしてくれた新鮮な刺身を食べている人もいて、活気あふれる久礼大正市場でした。入口からアーケードを進み一番奥の店で買い物をしようと思ったのですが、私がお目当ての鰹がなく、メジカが並んでいました。
 予定はしていなかったのですが、鰹のたたきを買って帰ると約束をしていたので、大正市場を見学した後、高知市のひろめ市場へ寄り道しちゃいました!
 やはり、ひろめ市場はいつ来ても大賑わいでした。土佐黒潮水産でお目当ての鰹のたたきを買っていると、店頭には様々な食材が並んでいて、ツイツイ、トロまぐろにぎり2パック・炙りまぐろ2パック・土佐和牛にぎり1パック等を買ってしまった。( やはりまぐろだけに高かった ) 買い物をすませて店内を歩いていると、美味しいにおいにつられてちびから本舗のから揚げも買ってしまった! 美味しいにおいには気を付けなければと買った後に後悔です。
平成28年8月20日
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