第 304 号
研修 in 京都
 はじめに
 私たちは、3泊4日で再び京都の地を踏む機会を得た。個人的にはもう何度目かの京都になってしまった。従って、今回は心に残った場所についてのみ記して見たいと思う。

 松下資料館
 初日、1月25日(水)私たちは松下資料館を訪問した。塾生にとっては巡礼する聖地になりつつある思いである。
 到着すると、いつものように入館料は無料である。そして、エントランスホールにいるガードマンの指示を仰ぎ、さらに3階へと進んだ。今度は入り口の女性職員が、私たちの部屋を準備して下さったとのことでそちらへ移動した。それからすぐに遠藤館長が現れた。私たちはあいさつもそこそこに、今回の訪問の趣旨を塾生各自の自主学習とし、各々、幸之助塾主の足跡を辿ろうということで、直ぐに展示室へ通して頂いた。
 私は塾主の肉声を聞きたく、多くの映像ブースを見て回った。半年前の訪問では、塾主のお声は力強いものを感じたが、今回は大変穏やかなものばかりだった。前回も書いたが、生前に活躍されておられた塾主の記憶はない。しかし、古い日本人の気骨が十分に伝わって来た。

 今回の学習でとても参考になった事は、塾主の商人道についてである。

 「商いの心得十ヵ条」
 1.商いは公事である。
   商いは「私事」ではなく、人のため、社会のための「公事」であるということ。

 2.お客様に愛される。
   その商品を買って上げよう、そのサービスを受けて上げようと思ってもらえるまでになる
   ということ。


 3.商品はわが娘と考える。
   お得意先を娘の嫁ぎ先のように感じる思いで渡すということ。

 4.商いは真剣勝負である。
   切るか、切られるかの真剣勝負だという思いで取り組むこと。

 5.堂々と儲ける。
   利益は、世の中の奉仕に対する報酬だと考えること。

 以下10番まで続くが、上記の5番までが最も心に残った。残念な事に、今回の訪問時間もあっという間に終わってしまった。私は次回の訪問も楽しみにしつつ、当資料館を後にした。

 銅閣寺
 京都には金閣寺、銀閣寺、そして幻の銅閣寺という寺院がある。しかし、普段は非公開の寺院で、年に一度も公開されない年も珍しくないようだ。比較的公開されることが多い時期は夏とのことである。
 結局、翌朝に私は、宿泊ホテルの部屋から寺院の一部を携帯カメラで撮ることしか出来なかった。それでも日本風の建築様式とは見られない大きな塔の一部を収めることは出来た。

 銅閣寺こと大雲院は、天正15年に織田信長、信忠親子の菩提を弔うために、正親町天皇の勅命により建立された寺院である。その名称は、織田信長の戒名である「大雲院殿三品羽林仙巌大居士」から取られた「大雲院」である。
 創建当初は、現在の烏丸二条の辺りにあり、その後は豊臣秀吉の手によって寺町四条辺りへと移転された。そして、昭和48年に現在の祇園・東山界隈の位置に落ち着いた。しかし、その場所はとある人物の別荘地であった。その人物こそ、現在の大成建設や帝国ホテルの創業者である大倉喜八郎氏であった。その別荘地には、老後保養の地として「真葛荘」(もくずそう)を建てた。大倉氏は、「金閣も銀閣もあるのならば、銅閣も造る。」と言われたらしく、祇園祭の山鉾をモチーフにして設計させ、その形状から「祇園閣」と命名された。もちろん、屋根は銅板ぶきにされている。そこへ、大雲院が移転することになった。その結果「祇園閣」は大雲院の所有となり、銅閣を有する寺院「銅閣寺」が誕生したというわけである。
 このような経緯から、増々幻の寺院「銅閣寺」に入館して見たいと思った。私は次回の訪問を夏と定めて、楽しみにしたいと思っている。

 平等院鳳凰堂
 最終日、私たちは平等院へ行った。私が最後に来た時は、中学3年の修学旅行ある。何しろ、25年前のことであまり記憶がないが、一つの思い出はあった。それは当時、平等院は15年以上続く大改修工事に入っており、旅行者は寺院内部に入ることが出来なかったのである。しかし、今回はその大工事もすっかり終え、寺院内部へ入ることが出来るというわけである。
 入ると直ぐに、真正面に大変古く、かつ大きな阿弥陀如来が鎮座していることに圧倒された。さらに、格調高い大きな柱や壁にカビの繁殖した痕跡が至るところにあった。また、何となく可愛らしい雲中供養菩薩52躯も、上部の壁で周囲を取り巻いているように掛かっていて、平等院の主・関白藤原頼通は、極楽浄土をコミカルに捉えているところが面白かった。父道長の別荘を寺院に改めた頼通は、ひょうきんな一面も持ち合わせていたのではないかと思えてならなかった。かつての応仁の乱、先の大戦でも消失することなく、壁画の修理は一度、50年前に行われたらしいが、ここには一千年も前の状態が残っていると思えば、感慨無量であった。また同時に、このような事をかつての中学3年の自分が感じる事が出来たかどうか考えて見たが、懐かしい友人達を思い出すばかりであった。それから私たちは退場した。

 帰りに土産屋に入った。私は25年前、平等院ではお土産を買っていなかったことを思い出した。私は十円玉を模した饅頭をひと箱買った。これで3泊4日の全ての日程が終わった。

 お土産は友人達で分けてもらった。平等院だけに十円玉の饅頭は受けたらしく、笑顔で喜んでくれた。どうやら私は、修学旅行のやり直しをしているようだった。
平成29年1月28日
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