第 312 号
京都:偉人館巡り・東寺ご献米法要
 47() 8() 先月に続き12日の京都訪問。先月、弓削島塩の献上行事のため東寺へ訪問した時、48日のご献米法要の奉納金をお納めさせて頂きました。その際、砂原執事長さまから当日都合が良ければご参詣下さいとお話がありました。実際『ご献米法要』とはどのような進行で行われるものなのか? もしも出席出来るのであれば、良い機会なので参加したいと正直思っていました。その願いがかない先月に続き再び京都へ…。また、せっかく京都に行くのであれば1日目は偉人館巡りとして12日の京都訪問です。

 7()、塾をAM 800 に出発して東寺へ向かいました。東寺のご献米法要は8日の予定ですが、大和田塾頭が東寺の山本さんに用事があるため、先ず東寺へ向かいます。
 東寺に到着すると早々山本さんが出迎えて下さり、山本さんとの用事を済ませましたが、同行していた塾生の大西さんが、東寺が初めてという事で、山本さんにお願いをして東寺の見学をする事となり、東寺の五重塔、そして普段見る事の出来ない貴重な部屋等の見学をしました。また、この日は東寺で夜の特別公開「東寺 夜桜ライトアップ」があり、不二桜やしだれ桜、五重塔もライトアップされます。残念な事にしだれ桜は花が散り葉桜となっていました。日中の東寺しか訪問しないので、ライトアップされる夜の東寺もこの機会に拝観しようと東寺見学後、ライトアップの拝観と山本さんと夜の食事の約束をして次の目的地へ…。




 次に向かったのは、天龍寺です。天龍寺へは、事前にネットで寺院の検索をしていたら天龍寺境内の法堂天井に龍が描かれていて、実物を見てみたいため天龍寺に訪問しました。
 天龍寺到着後、車を降りた時の天気は大丈夫そうだったのですが、境内を歩いていると、雲行きが怪しくなりはじめ、同行していた大西さんが空を見回していたのですが「そろそろ雨が降り出すよ!」と言っていて、歩いていると本当に雨がポツ・ポツ、だんだん雨脚も・・・、境内も広いし傘も持っていないのに雨が降り出し、法堂へ向かうのに濡れながら駆け足、また雨宿りしながら歩きました。
 天龍寺は1339(暦応二)に後醍醐天皇の菩提を弔うため、夢窓疎石を開山として、時の将軍足利尊氏によって建立された臨済宗の本山の一つで、創建以来、八度の火災に遭ったのですが、明治維新の蛤御門の戦いで、薩摩藩の砲火によって焼失したのが最後だったそうです。唯一残った禅堂を、当時の管長峨山禅師によって移築されて、法堂兼仏殿として今日に伝えられています。
 法堂天井「雲龍図」は、明治期に活躍された日本画家、鈴木松年画伯の筆になる「雲龍図」が描かれていました。それは和紙に描かれて天井に貼られていたため損傷が激しく、修復不可能という事で、新たに現代日本画の雄・加山又造画伯に依頼し完成したのが現在の「雲龍図」です。法堂天井中央に、直径9mの円相の中に躍動する見事な龍で、厚さ3cmの杉板159枚を張り合わせ全面に漆を塗り、さらに白土を塗った上に直線墨色で八方睨みの龍として描かれています。床には円が書かれてあり、説明の通り天井に描かれた龍の顔を見ながら床の円に沿って歩いて回ると龍にずっと睨まれているように見えます。そして天井に描かれた龍が飛び出してくるように感じたのは私だけでしょうか…? 残念な事に撮影禁止とされていて雲龍図の画像がありません!是非皆さん自分の眼で拝観しに行ってみて下さい。 また、移築当時の鈴木松年画伯の描かれていた雲龍図は一部が保管されていて、毎年2月に大方丈に一般公開されています。この日は雨で法堂だけの拝観でしたが、次回、天龍寺境内の拝観と明治期に描かれた雲龍図を拝観したいと思っています。

 次は、広隆寺へと向かいました。広隆寺は603(推古天皇11)秦河勝が聖徳太子より仏像が贈られました。その仏像は弥勒菩薩像で、その仏像を本尊として建立し京都最古の寺とも言われています。またその本尊が国宝指定第1号の弥勒菩薩像に指定されています。創建当時の本尊と伝えられる国宝指定第1号の木造弥勒菩薩像は、日本一美しい仏像と言われる通り、弥勒菩薩像の表情は仄かに微笑んだ柔らかい表情でした。広隆寺霊宝殿には弥勒菩薩像の他に寄木造の千手観音(藤原期)、聖徳太子16歳像(鎌倉期)、その他飛鳥・天平・貞観・藤原・鎌倉時代を代表する仏像が安置されています。この広隆寺もまた撮影禁止なのでそれぞれの仏像の画像が撮れませんでした。

 広隆寺を出て、次に三十三間堂へと向かうはずだったのですが、拝観時間がなく宿泊先へ…。夜の特別公開「東寺 夜桜ライトアップ」はPM 630 なので、薄暗くなるまで休憩をとりライトアップを見に出掛けました。今回の訪問はつくづく運が悪く、ホテルを出る際、傘が必要かそうでないか、というほどの小雨が降っていました。結局傘を持たずに東寺へと向かったのですが、東寺に着くと雨脚が強くなり残念ですが、正門で断念してしまいました。しかたがないので約束の時間より少し早かったのですが夕食を取る事にしました。予め夕食のお店はネットで調べ宿泊先の近所にあるお店を予約していましたので、東寺の山本さんに連絡を取り夕食店へと…、お店に入り山本さんと合流。普段東寺でお会いする山本さんは、甚平和装の服装でしかお会いした事がなく、お店であった山本さんはジーパンを穿いていらっしゃって、思わず「山本さんジーパン…」と驚いてしまって、その声が山本さんに聞こえ「私だってジーパン穿きます」と言われてしまいました。自由な時は普段着だよね!そうですよね、と思いましたが、でも今までお会いした山本さんと違って親近感を感じました。山本さんとの夕食は2時間ほどでしたが、とても楽しく過ごさせて頂きました。

 8()、東寺「ご献米法要」がAM1030からなので、ホテルを10時に出て東寺へと向かいました。法要は、東寺の大日堂で行われました。大日堂前の敷地にテントが張られ、参詣者はテントが張られた場所に座り、祈願法要をします。ご献米法要は、第一部:祈願法要、第二部:回向法要と行われます。第一部では・奠共(四智梵語)、・理趣経(初段)、・後護(不動讃)、・般若心経(一巻)、・不動慈救咒(七反)、・大師宝号(七反)、・回向となっており、第一部の祈願法要が行われました。塾頭はじめ私も始めての事ですので、法要の進行が解らず第一部・第二部が解ってなく、他の参詣者の方々が席を立ち帰っていく様子だったと思い、献米法要が終わったのだとトイレ休憩をとっていました。そうすると何処からともなく太鼓や鈴の音、お経の声が聞こえてきました。大日堂を出てみると東寺本坊前の敷地にテントが張っており、その場所で第二部が行われていました。私達は終わったものだと勘違い、他の方たちは移動しただけだった!慌ててその場に向かい空いている席にそっと座りました。第二部では、・開経偈、・奠共(四智梵語)、・般若心経(一巻)、・後護(仏讃)、・光明真言(七反)、・大師宝号(七反)、・回向となっており、第二部の回向法要が行われました。その後、砂原執事長からお話がありまあした。お話の後正午にお斎(お食事)ですが、法要前に受付でお弁当と法要式次第が手渡されましたが、食事作法として食前一同合掌します。事前に手渡された式次第に食前の合掌が書かれていました。

 食事作法:食前(一同合掌)

“み光のもと我今幸いにこの清き食を受く

つつしみて御仏のご恩をおもい

品の多少をえらばし”
     ……頂きます。

 食事作法:食後(一同合掌)

“我今この清き食をおわりて

 心ゆたかに力身に充つ

 願わくばこの身心をささげて己が業にいそしみ

 誓ってご恩にむくいたてまつらん”

          ……ご馳走さま。

 参詣者一同合掌をして食事をしながら、洛南高校吹奏楽部の演奏や東寺保育園園児による鼓隊や踊り等を楽しみます。
 私達は次の予定があるため、頂いたお弁当を食べずに合掌後失礼させて頂きました。本来なら最後まで同席しなくてはならないのですが申し訳ありません。そして貴重な体験、貴重な時間を過ごさせて頂き本当に有難う御座いました。是非また来年ご献米法要に参詣させて頂きたいと思っています。

 東寺を出て、前日訪問できなかった三十三間堂へ向かいました。三十三間堂は何度か拝観しましたが、この日は花まつりがあり甘茶接待や福引等があり、また無料で写経体験も行われていました。その為、普段本堂の扉は閉ざされていますが、この日は雨戸が開けられ本堂には障子越しの光がありました。そのため本堂に入ると今まで拝観した時のご本尊と印象が違って見え、最前列のご本尊も良く見えました。しかし、いつ訪れてもご本尊に圧倒されますが、今回も心の中で手を合わせながら拝観しました。

 全ての行事を済ませ帰る事となり、帰り途中高速のパーキングに入り東寺で頂いたお弁当を少し遅めの昼食タイム!お弁当は2段重ね、ご飯はお赤飯、おかずを開けるとやはり京都と思わせる華やかな品ぞろえ、しかもおかずが…すごい、おかずの下にまたおかず…!なんとおかずが2段ありその品数の多さに驚きました。今思えば写メを撮っていたらよかったと心残りです。お弁当を食べながら2日間の出来事を思い浮かべ美味しく頂きました。今回大西さんには道中運転お世話になり、ご苦労様でした。次回の京都訪問時は、天候が良ければいいですね。有難う御座いました。

平成30年4月8日
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