第 333 号
京都 / 松下資料館:偉人館巡り
 今回、66日から8日の三日間をつかい、松下資料館・霊山歴史資料館・東寺・三十三間堂・寺田屋・八木邸・二条城などを回りました。

 それぞれの場所で感じたことを書いていきたいのですが、どうしても長くなってしまうので、今回は四国政経塾の基盤である、松下幸之助の思い・経営学・人生を学べる松下資料館のことを書いていきたいと思います。

     

 今回初めて松下資料館を訪れて、改めて松下幸之助という人物の偉大さを感じるとともに、人間らしさを感じることがありました。

 自分が持っている松下幸之助のイメージといえば「経営の神様」とまで称賛された独自の経営方針、またいち早く先の時代を見据える先見の目、そしてその考えを形にする行動力など、一般人とは違う才能あふれる天才というものでした。

 日頃から塾頭には「皆同じ人間であり、松下幸之助が出来たのだから自分達にも出来るんだ。」とお話しいただきますが、心のどこかで「何かを成功させた人は元々特別な人なんだ。」「自分は凡人だから出来ない。」と何かをやらない為の言い訳ばかり考えていました。そんな思いもありながら、松下資料館を訪れ深く学んでいく中で、気になったのが松下幸之助という人物の気持ちの部分でした。自分が知っていた松下幸之助という人物は、何もない所から松下電器をおこし、羽陽曲折ありながらも大企業にし、事業だけでなく政経塾の設立など、多方面に活躍する偉人であり、政経塾設立の思いでもある「当時の日本を憂い、日本を変えるため今とは違うやり方考え方を持った政治家・経営者を育てる必要がある。」という「国を良くしていく」という強い「志」を持った人であった為、悔いのない人生だったのだろうなと勝手に解釈していました。しかし、資料館で当時の講演を聞いていると、ふと本当に悔いのない人生だったのかと思うところがありました。それは、政経塾設立の思いを語っている場面で「次世代の若者が大事なんだ」と話す松下幸之助の言葉が、僕には「自分には残された時間が少ないから、次の世代に託すしかないんだ」と言ってるように聞こえ、只の勘違いかもしれませんが、僕はそう捉えました。

 その時に、これだけの偉人であっても年という時間せいで出来なかったことがあるという事実、時間は有限であり、長さこそ違えど平等であり、最も価値があるものと気づかされたと同時に、自分が失ってきた物の大きさに愕然としました。後悔もありやり直したい気持ちもありますが、そんな後ろ向きなことを考えても時間がもったいないので「今知れた」と開き直り、今後の時間の使い方を改め、少しでも松下幸之助の思いを繋げるように自分作りに邁進していきたいと思います。
令和元年6月8日
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