第 34 号

私が感じた 『 坂本龍馬 』 とは・・・


 1月18日、2004年最初の偉人館巡りは、高知県の桂浜にある 坂本龍馬記念館 を訪ねました。この記念館は、昭和60年が龍馬の生誕150年に当たる為、それを記念して建設しようとの意見がまとまり、私ども四国政経塾の塾長であり、龍馬倶楽部の会長でもある橋本邦健氏が、日本全国を坂本龍馬の格好をして講演して回り、その講演会費をはじめ、高知県の青年組織、地域起しグループ等で結成された 龍馬生誕150年記念事業実行委員会 が全国に向けて募金活動を行い、6年の歳月を経て建設され高知県に寄贈された物であります。 さらにこの橋本氏は、まだ記憶に新しい昨年の11月15日、日本初の人名空港である 高知龍馬空港 の誕生にも尽力された人物であります。
 当日大変幸運なことに、我々と橋本塾長とのスケジュールが合い、龍馬記念館を案内して頂く事ができました。 最初に橋本塾長が 皆さん自身が坂本龍馬になったつもりで、龍馬のことを思い描きながら見てください。 そうすると全て見終わったとき、各々の坂本龍馬像が出来ているはずです と仰り、案内が始まりました。 確かに龍馬に関しては、様々な龍馬関連の論文・小説・映画など、人それぞれの解釈が溢れ、『 英雄、龍馬 』が一人歩きをしている状態であります。 今一度、坂本龍馬という人物の偉大さ、万人を惹きつけるその魅力を、自分自身の心で感じたかった私は、その言葉通り記念館の各ステージを見て行きましたが、改めて感心するのは龍馬のその優れた先見性、固定観念に囚われない柔軟な発想、そして人並み外れた行動力であります。 それは余りにも神憑り的で、その当時の人々では想いも付かない、理解し難い物があったのではないでしょうか。 それは龍馬自身も和歌としてのこしております。 世の人は われをなにともゆはばいへ わがなすことはわれのみぞしる と・・・
 昨年、養老孟司氏の著書で バカの壁 という本が話題となりましたが、今から130年余り前、既に龍馬はここで言う バカの壁 の存在に気付いていたのではないでしょうか。 実際に脱藩といえば重罪であり、捕まれば打ち首ですが、その時の龍馬は など何とも思っていなかったのではないでしょうか。 薩長同盟を現在に置き換えると( 私的にザックリとした解釈ですが・・・ ) 「アメリカ、中東、北朝鮮が手を結ぶ」ぐらい大変な事だったのではないでしょうか。 そう考えると、今の我々から見てもどれも想像を遥かに上回り、いったい龍馬のどこからそんな力 発想、行動 etc・・・ が沸き起こるのでしょうか。 私が思うに、その龍馬を突き動かす力 原動力 )は、やはり 愛国心 だと思います。 海に囲まれた日本は、もっと海外に目を向けなければならない。 それなのに国内で戦をしている場合じゃないだろう!!」 自分が何とかせねば、日本は駄目になってしまう そんな見返りを求めない 日本を想う心 なくしては、一人の浪人が当時の最高権威の将軍を動かすことなど出来なかったでしょう。
 様々な展示資料を見て記念館の南端のステージ そこは180度 全てがガラス張りで,眼下に太平洋が広がっている・・・まさに圧巻!! へ到達する頃にはそんな事を考えておりました。 最後に橋本塾長が 若者諸君、念ずれば花開く。どうせするなら、人が真似できないことをしょうじゃないか と仰いました。 数々の自分の想いを現実の物とされた塾長のその言葉には、力があり、私に勇気を与えてくれました。四国政経塾の塾生として、橋本氏が塾長であることを大変誇りに思います。

 高知を後にする際、ぜひ次回は龍馬の盟友である中岡慎太郎の故郷、高知県安芸郡 中岡慎太郎館 を訪ねたいと思ったのでした。

平成16年1月18日
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