第 45 号

西条市議会解散署名運動

 全国各地で市町村合併が進む中、11月1日に西条市東予市丹原町小松町という2市2町が合併して新しい西条市が発足。同時に在任特例を適用して県内最多の78議員を擁する西条市議会も誕生した。

 そもそも合併した新しい町は新しい市民が選出した市長と議会で構成し、運営していくのが筋であるが、合併協議会及び旧2市2町の議会は合併後、議員の1年7ヶ月間に及ぶ任期延長を決めた。しかしこれは「行財政の効率化」という合併の目的に反しており、市民からは批判の声が相次いでいたが、まだ誰も行動を起こしてはいなかった。


 私は、四国中央市のリコール運動に参加し、様々なことを学ぶことができた。市民の声を生で聞き、「西条市でもこれは起こさないといけない」と強く感じ、運動終了後に合併2ヶ月前の西条市でリコール運動の準備を始めた。
 最初に取り組んだのはリーダー探しである。準備を進める上で住民グループの代表は欠かせない。だが、保守的意識が強く争いを好まない西条周桑の住民に引き受けてもらう事は非常に難しく、結果は全て断られてしまった。さらに、合併まで時間に余裕がなかったという事情もあり、私が代表を引き受けることになった。
 次に取り組んだのは、署名を集めてくれる受任者を探すことだ。この受任者が一番大切であり、受任者がどれだけいるかによって署名数も変わってくるのである。だが、受任者を探すのは容易ではなかった。議会の解散には賛同するので署名はするが、署名を集めるのはお断りという方が多くてなかなか集まらなかった。
 そんな中で11月1日の合併の日を迎えたこの日、議会の解散を求める住民グループ、「新しい西条市を創る会」が正式に発足し、私は代表に就任した。この事が新聞やニュース等で取り上げられると、自ら受任者として参加を申し出る方も出始めて受任者の数は急速に増えていった。
 11月17日、既に受任者の数は1000人を超えていた。この日、新議長に12月議会での解散を求める旨の要望書を提出した。その後記者会見に臨み、創る会の趣旨と議会への要望をマスコミを介して市民に訴え、徐々に署名活動に向けての機運を高め始めた。
 その後も受任者は順調に集まり、1500名を超えた11月28日に、12月議会が中旬以降にずれ込む情報を事務局より得たため、同月30日に各地区の世話人を集めて今後を協議し、「12月10日より署名活動を開始する」と決定した。翌月6日には署名活動の責任者である代表者証明申請書を選挙管理委員会へ提出し、翌7日に交付され、直ちに4000冊の署名簿の作成に入った。

 そして受任者が2000人を超えた12月10日、ついに議会の早期解散を求めて1ヶ月間の署名活動が西条市全域でスタートした。

      

目標署名数は5万人分。商店街の入り口やバリュー市場東予店などでも街頭署名を実施し、さらに市民の協力もあって署名は順調に集まっていった。

 そんな中、巨大議会もやっと動き始め、任期や定数を検討する特別委員会や、市民を交えた懇談会がそれぞれ設置された。
 そして、署名数の第一回中間報告日である20日、市議会が3月議会最終日をもって自主解散する決議が賛成多数で採択された。数が出揃う前に自ら解散を表明したことは評価されるものと考える。この決議を受けて急遽、各地区の世話人と協議した結果、「市議会の決断を尊重し、信頼する」という理由で署名活動の中止を全会一致で決定した。翌日、市議会宛にリコール署名活動中止の決定を報告し、今後は市民の目線に立った議会運営がなされるよう、努力をお願いして11日間の署名活動を終えた。
 かつて、西条市で全市を挙げて住民運動が行われたことはないらしい。巨大議会の誕生が、保守的な市民の性質を変える何かのきっかけになったのかも知れない。
 今回、この大切な住民運動でリーダーシップと大きな責任が求められる代表を務めさせていただき、私自身数々の貴重な体験をして様々な事を学んだ。もし、政経塾に足を運ばなければ代表を務めることもなかっただろうし、署名すらしなかったかも知れない。政経塾の「行動」という部分の大切さを改めて実感した。今後は、この活動で得た人脈と経験を忘れることなく、次に生かして行きたいと思う。

 最後に、この署名活動に協力して下さった市民の皆様、本当にありがとうございました。これからはひとりひとりが行政に関心を持ち、将来に誇れる素晴らしい町を創りあげていきましょう!!

「行動を起こしてこそ、何かが変わるきっかけが生まれる」

平成16年12月28日
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