第 48 号
偉人館巡り京都訪問
 昨年は3月の県議選挙から12月の西条市リコール運動と地元活動に追われ、偉人館巡りが途絶えていましたが、今年最初の異人館巡りで15・16日と京都に行くことになり、塾頭を始め6名の参加で、雨の中朝8時より塾を出発いたしました。

 京都には11時半頃到着し、元京都政経塾の磐田氏の案内でおよそ三百八十年前に建てられた、がんこ二条苑で三百八十年前の京都の雰囲気をあじわいながら昼食を取らせて頂きました。

 食事の後、島津創業記念資料館を見学、館内は初代島津源蔵が科学立国の理想に燃え、理化学器機の製造を始め、二代目島津源蔵が才能を開花させて、後に日本の10大発明家の一人に選ばれ、今の島津製作所の地盤を築き上げた資料が数多く展示されていました。館内を説明しながら案内して下さった人が昔の京都の歴史を少し話してくれた中に、京の町は朝廷が京を引き払い、江戸に上った為、京の町は見る間に廃れて云って、当時の人達は京の町を建て直す為時の政府から20万両を貰い京の活性化を命令され、学校を作ったそうです。これは10年・20年後の京を考えて計画を立て、64校も作り(64校の中には地域がお金を出し合い住民の手で立てた学校も有った)人材作りこそ、町作り、国作と考えたのではないでしょうか。

 島津創業記念資料館を後にして、三条〜四条を廻り、池田屋騒動の地、酢屋(龍馬が隠れて居た材木屋)、坂本龍馬と中岡新太郎遭難之地(近江屋跡)土佐藩邸跡の碑、昔ながらの先斗町通り(昔のままの料亭が残っている)を廻り、高台寺松葉亭にて夕食をし、輪違屋に向いました。輪違屋の主人高橋氏が塾頭と長年の付き合いで、偶々、如月太夫が出前から帰って来たからと言って、同席してくれました。多分私には一生無い出来事で有り、経験出来ない時間でした。(もう二度と経験の出来ない事でしょう)

         

 翌日、朝から霊山歴史館に行き、幕末の志士達の墓、龍馬、新太郎の墓のお参りをし、新撰組壬生屯所遺蹟(八木邸)の見学、説明を受け、伏見に向いました。伏見では池田屋でお龍が命がけで龍馬を逃がし、材木小屋に隠まり助けを呼びに行った事など、知らなかった事の事実を多く聞けました。

 最後に東寺の五重塔(高さ55メートル)の中に何年かぶりに入れるとの事でしたので東寺に出かけ内部の見学をした。内部は心柱を大日如来に見立て、その周囲の須弥壇上にあしゅく如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来の金剛界四仏と八大菩薩を安置して、現在は剥落しているが、四天柱には金剛界曼茶羅諸尊が描かれている、外回りの四方の扉の内面に護法八方天、扉の左右の柱には八大龍王、そして周囲の壁の上段に真言八祖像、下段には蓮池、さらに天井は折上子組格天井、長押等にも前面に極彩色の文様が装飾されている、何とも不思議に落ち着く塔内でした。

 京都にはまだまだ、歴史勉強をする所が有るので再度訪問することを、期待し帰路につきました。

  輪違屋 : http://kyoto.cool.ne.jp/tukasa21/wachi.html
  八木邸 : http://www.mibu-yagike.jp/
平成17年1月16日
目次へ