第 49 号
歴史の街 “京都”
 昨年9月高梁を訪れて以来の異人館巡りである、雨の中、京都に向った、京都では元京都政経塾の磐田君が案内をしてくれた、京都における勉強内容は塾生が詳しく書いてくれると思いますまで、私が今回京都を訪れて感じた事を少し述べさせて頂きます。

 池田屋騒動→酢屋→近江屋→土佐藩邸→先斗町と廻らせて貰いましたが、酢屋以外の歴史的事件が有った場所は、行って見ると小さな石碑が立って有るだけで(商店街の歩道の脇)説明版も無く案内人が居なければほとんど気が付かない所でした、当時の人達は、其処でお互い国の為と思い命のやり取りし、死んでいった人達の事を思うと悲しく思います(何か歴史を語る施設もしくは説明版等を考えてもらいたい)先斗町の路地は昔のままの建物が立ち昔の生活感が感じられた。

 初日に感銘を受けて事は、島津創業記念資料館で聞いた、日本で初めて学校が出来たのは京都である事でした、時の京都の人達は「国家百年の大計は教育に有り」正にこの事を実践したのでしょう。

 二日目、東寺(教王護国寺)に行き、初めて京都を感じました。京都=神社、仏閣、仏像が私の京のイメージはそうでしたので東寺の金堂の薬師三尊、十二神将と講堂の中の大日如来を中心に五智如来をはじめ五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈王の二十一?の仏像が安置され、これは弘法大師の密教の教えを表現する、立体曼荼羅(密厳浄土の世界)その後五重塔、この幻想の世界が見学出来た事が私に取って何か懐かしい思い出に耽れました。

 午後、伏見に向かい寺田屋を見学、当時のまま残り、龍馬が襲われ窓越しに逃げ、材木小屋に身を潜め、助けが来るのを待っていた事など寺田屋の人から一通りの説明を受け、当時の状況がなんとなく浮かびました。

 今回の京都異人館巡りで、一番感心した事は、当時交通手段は徒歩、馬、籠ぐらいしか無かっただろうに、我々は車で、京〜伏見まで30分ぐらい掛かったのに、歩けば四、五時間は掛かるだろう、当時の人達の京都市内、又、伏見まで幕末の歴史舞台を如何なる方法で駆け抜けて行ったのだろうか?凄い脚力だけではないだろうと思う、疑問を残し京都を後に帰路地に向いました。
平成17年1月16日
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