第 52 号
初めての京都偉人館巡り
 私は、政経塾と言う名前は知っていましたが、詳しくは知りませんでした。今回、京都研修(偉人館巡り)に参加するようになったのは、昨年の秋に大和田塾頭さんと知り合い、塾へ出向くようになり、自分も塾の皆さんと一緒に勉強してみたいと思い、今回初めて塾生の皆さんと一緒に、京都偉人館巡りに参加することにしました。

 早朝より車に乗りこみ京都に出発です。家族で観光に京都へ出かけたことはありましたが、歴史を学びに行くというのは初めてです、少し遊び気分を感じながら、楽しい勉強会になる事と思い京都に出発です。京都の宿泊先に到着後、元京都塾生の磐田さんと初めてお会いしましたが、何ともユニークで気さくな方でした。磐田さんには、二日間とも添乗員をしていただけると言う事で心強くまた楽しかったです。先ずは昼食の為に案内していただいた料亭から驚かされました、数百年前の建造物や庭園がそのまま料亭に使用され、また、京都ならでわの風情と料理で早速京都を味わいました。

 昼食後は道を挟んで向い側にある島津創業記念資料館へむかい、館内の見学と案内をしていただきました。私は、島津製作所と言う会社は、単に機械を作っているぐらいの感覚でしかなかったのですが、館内を見てみれば多くの近代科学の基礎になるものが作られ展示されていました。近代科学技術は、京都木屋町二条で始まったとありますが、欧米の最新の技術と設備を導入して強力な産業振興策を展開し近代産業の拠点となり、また交通の要衝としても栄えていた。こうした転換期に、初代島津源蔵は家業を離れ独立し、科学立国の理想に燃え、この地で教育用理化学器械の製造を始め、明治10年には日本で初めての有人水素気球の飛揚に成功したとされています。また、二代目島津源蔵は、島津の電気と呼ばれる器械や、日本で初期のX線写真の撮影に成功し後の医療用X線装置の完成・GSバッテリー・顕微鏡など、次々と新しい製品を開発し日本の10大発明家に選ばれるほどの人物だそうです。館内の案内を聞く中で、ここ京都の地では、64もの小学校が創設され、日本における近代学校教育の発祥の地と聞きました。当時の政治家・企業家・市民の人達の学校教育と言うものが今からの時代に必要になってくると感じていたのだと思います。ここ京都の人達の教育に対する熱い思いがあって64もの小学校がつくられたのでしょう。

           

 次に島津創業記念資料館を後にして、幕末維新の歴史舞台となった京の中心、河原町三条〜四条と京の街並みを探索しながら歴史の出来事を学んでいきます。今残されているのは石碑だけですが、昔はどんな街並みでどんな人が行き交っていたのかと考えてみると不思議な感じがします。池田屋騒動之址では、勤王志士古高俊太郎が捕らえられ計画をもらしたことが発端となり、勤王志士達と新撰組とで壮絶な戦いがあり有力な武士が犠牲や捕らえられ明治維新が数年遅れたともいうが、ここでは新撰組が世間に一躍名を轟かせることになった。しかし勤王志士達は急襲にあい捕らえられた者達はどんな気持ちだったのか、また、その後の日本はどう変わったのだろう。坂本龍馬が海援隊の屯所とした場所酢屋に行き話を聞くと、坂本龍馬は二階の格子窓から試し撃ちをしていたといわれたのを聞き、坂本龍馬の写真のある、懐に入れている右手の中にはと想像してみる。幕末の英雄、坂本龍馬・中岡慎太郎が京に散る近江屋跡では、やはり石碑しか残っていませんが、二人は会談中に襲われた地として、また、悲劇的な地と思われている。二人がもう少し長く生きていたならと考えてみる。他にも京都の街は細い路地が今でもたくさんあるが、この細い路地でも私達が知らない幾つかの歴史が作られたのではないだろうかと思いつつ、雨が降る中傘をさしての初日の研修を終えました。

 二日目はお天気もよく、まずは新撰組ゆかりの地 壬生 旧前川邸・八木邸・壬生寺と足を運びました。八木邸において、新撰組が結成された経緯などを聞きながら邸内を見学しました。前川邸では、近藤勇ら一派が宿泊し、ここ八木邸では、芹沢鴨一派が宿泊していて、二人の持つ浪士隊13名によって新撰組が結成され、芹沢鴨が初代新撰組の局長となり京の治安を護っていたが、芹沢鴨は、病気をまぎらわす為酒におぼれ、素行が悪く隊の規律を乱したとして、ここで土方・沖田らに殺されたとそうだ。また、池田屋騒動で計画をもらしたと言う古高俊太郎が、旧前川邸で取り調べを受け自白した場所である事も知ることができた。

 次に、嵯峨天皇から弘法大師空海に下賜された東寺へと向い、国宝五重塔、日本の健造物、宝物の凄さに驚かされた。私は、宝物に対する知識や価値がよくわかりませんが、五重塔の中にはいれば、心柱の大きさや災害に強い構造、また、講堂の中にはいれば、大日如来をはじめ多数の仏像が安置され、「立体曼荼羅」とも呼ばれている彫刻などがあり、空海の教えを伝える名刹として、仏教の街京都をもっと強く意識させられました。

 伏見の寺田屋を見学に行く、今も予約をすれば旅館として宿泊できる寺田屋は、坂本龍馬とおりょうさんとの恋の宿とも聞くし、伏見奉行所の捕り方に襲われた場所で、その時逃げる際に放った鉄砲の弾の跡が柱に残っている。テレビで見た場面とてらしあわせながら、見学してまわりました。

 二日間ではありましたが、私自身、異人館巡りと言う形で京都へ来ることや、新撰組・坂本龍馬・中岡慎太郎などの人物像や、東寺・街並みなどをゆっくりと歩き、自分の目で見て、耳で聴くことがなかったので、知らないことばかりでした。坂本龍馬と中岡慎太郎のような出会いもあれば、芹沢鴨と近藤勇のような出会いといろいろである。いろいろな人の出会いが時代を創ったのだろうか。また、時代を創ろうとする人達の行動力や精神力はどこから湧き出てくるのか、自分の生命の危険を考えると理解するには、ただ感心するだけです。昔の人達か築かれた歴史や文化が今の時代に受け継がれていることに感動をします。また今後も歴史を学びながら現在を勉強していきたいと思います。もっといろんなことを書きたかったのですが、頭の中の整理が出来ませんでした。初めてでしたけど本当に楽しい研修が出来ました。塾の皆さんお疲れ様でした、特に運転手さんは疲れたと思います。次回の偉人館巡りを楽しみにしています。

 最後に、島津創業記念資料館でいただいた「事業の邪魔になる人」「家庭を滅ぼす人」の文章を忘れず、日々の生活に役立てていきたいと思っています。
平成17年1月16日
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