第 53 号
靖国神社訪問

 平成17年2月11〜12日に塾生3名と共に、東京へ訪問。私自身、東京は20年ぶりの訪問となるが、遊ぶにはいいが、住むのには大変なところだと敢えて実感致しました。また、拉致問題において活動された重城さんにおかれましてはご多忙の中、二日間にわたり東京・横浜の案内をして頂き誠に有難うございます。この場をかりまして御礼申し上げます。

二日間での感想はつに要約致します。

@ 浜松町で、昼食後タクシーで「衆議院第二議員会館まで」(
千代田区永田町1目)といって国会議事堂が目の前に見えるところまで送ってもらいおりると、田丸秘書が通用門まで出迎えてくれており議事堂内を案内していただく。当日は、祭日ということもあり代議士にお会いすることはなかったが本会議場、中央広場、御休所を案内してもらう。
 本会議場はステンドガラスから洩れてくる日の光が場内を照らし荘厳で古さを感じ
させられた。
 御休所付近には、大理石で敷き詰められた廊下、御休所内は、豪華爛漫に絨毯が敷かれ、檜を使っての内装張りで建築されていた。中央広場は、法隆寺5重塔がすっぽり入る大きさで広場1階には、日本議会政治の基礎をつくる功労のあった伊藤博文、大隈重信、板垣退助の銅像が各隅におかれ一箇所だけスペースがあり、おそらく議員の中から立派な方が置かれるようにとの意味合いがあるのではと思った。

A 続いて靖国神社では、菊の紋章のついた神門をくぐり拝殿(この奥に246万体も祭神が祭られているとのこと)で参拝したあと『遊就館』を見学する。この建物は過去何回も修復改装され今ある建物は、平成15年に完成されたとのこと。館内には、10万以上もの明治維新当時から遺品・戦争史料、武器が生々しく展示されておりとても言葉では言い表す事が出来ないほど強い衝撃を受けた。基本的には戦争博物館ともいえるが、各コーナーが設けられ武人のこころ、日本の武の歴史、明治維新、西南戦争、靖国神社創祇、日清・日露戦争、満州事変、支那事変、大東亜戦争、靖国の神々など・・・コーナーによっては、ビデオ鑑賞モニター方式でわかりやすく放映して説明するところもあったが、とても一日では理解できるところではなかった。
 戦死者の遺言・遺品などは直筆で書かれた家族宛のもの、父と母宛に書き治めたもの、手帳の空欄部分にしるした和歌などは命がけでかかれたものであり絶句の連続である。遺影に向かい手を合わし涙にむせぶ御婆さんを目にすると 実に私自身、如何に平穏な生活を送っていることかと考えさせられた。明治維新によって最高権力が徳川幕府から明治新政府天皇政府に変わり統治の主体がかわり、徳川家と戦って戦死したもの、お国のために倒れた義士など 靖国の祭神は国家的に見れば天皇に忠義を尽くしたものと変っていくが(天皇に刃を向けた人以外)人を神として祭り天皇が親しく親拝する栄誉が与えられるはずがここ昨今、『A級戦犯』合祀問題とからみあう首相参拝問題、中国をはじめ世界各国から数多い非難を被ったり、天皇家までも参拝できないという日本人の誇り、思いを揺さぶらせられている現実、また陸軍所轄の神社が戦後民間の一宗教団体が援護法恩給法の選考問題にかかわる他、憲法20条、安保問題など様々な問題が絡み複雑化している。結局は歴代の政府の厚生行政の官民一体としてなされたところもあり、我々日本人としてもっと関心を持って共に議論しなければならない重要な問題のひとつと理解致しました。

 最後に、2月12日は、横浜・中華街に訪問して華僑の旧正月の雰囲気を味わい海上から眺める新横浜とベイブリッジに歓喜し帰路に向かった。

平成17年2月12日
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