第 64 号
高松・徳島訪問
 6月11日高松、翌日12日は徳島のイロイロな施設、観光地を視察に行きました。

 高松は歴史資料館と、てんつくマン(軌保博光氏)との打ち合わせです。歴史資料館は展示物が今まで行ったどの資料館よりも多く、時代ごとに整然と展示されていて讃岐一帯の歴史、高松の生い立ちがよく理解できお勧めの資料館です。

 てんつくマンとは以前、吉本興行で山崎方正とコンビを組み、けっこう売れていたみたいです、ある日、漫才では人を感動させられないし、人助けも出来ないと思い、其れを映画で人々に訴えたいと思い吉本を辞め、自転車で日本一週を思いつき、路上パフォーマンスをしたり、講演をしながら資金集めをし、映画を作った人です(皆さんも何処かで合っているかも)11月ぐらいに政経塾主催でこの映画上映をおこないたいと思い打ち合わせの為お会いしました。
 11日の内に徳島に入り、夕方7時頃より食事にホテルの近くの居酒屋に入り3時間ぐらい、イロイロな話をした中で、努力と行動力の話が胸にグサット来ました、他の塾生は普段の生活の中でその事(努力と行動力)を意識しながら生活をすべきだと思い実践している事でした、自分(他の人も同じだと思います)普段の生活(仕事、友人との付き合い等)の中で何となく時間が過ぎて行きその中で意識しながら、如何なる努力をすべきか又、行動を起こし如何なる発言をすべきか、考えた事も無いだろう!!
 今後、普段の生活の中に、この事を肝に銘じて生活を送ろうと思います、そう出来れば、悔いの無い人生が歩めるのではないのかと確信が持てたような気がします。

 12日は廻る処が多く組まれていたので、9時にはアスティ徳島を見学この施設は平成5年にオープンしたビッグな観光コンベンション施設でコンサートや展示会はもちろん、スポーツ大会も行なわれます。「とくしま体験館」では、徳島内のあらゆる観光地を、アッという間にひとめぐりできると聞き、行きましたが閉館でした。

 次に阿波の十郎兵衛屋敷の見学、十郎兵衛屋敷は「いたいけな順礼お鶴に紅涙をしぼる」浄瑠璃作者近松半二の傑作「傾城阿波の鳴門」のモデルとなった坂東十郎兵衛の屋敷跡で、約300年前、享保年間の建物であります。十郎兵衛は、阿波の国宮島浦の庄屋に生まれ、父隠居後十郎兵衛を襲名、宮島浦と鶴島の庄屋として、苗字帯刀を許され豪邁にして任侠に富み、藩主より望まれて「他国米積入れ川口栽判改め役」の重職を命ぜられていました。当時阿波の国は藍作と製塩の二大産業を奨励したために米が不足し他国より輸入せねばなりませんでした。江戸幕府は当時兵器・食糧を集めることを禁じていましたので密輸入となり、十郎兵衛は輸入米の検査をする役目であったので、輸入米をめぐり部下の不正が判明し、これが公となって藩と幕府に対する立場の板ばさみとなり、藩も罪状を明らかにすることができぬままに、元禄11年11月21日刑場の露と消えました。(長男以下男子3人処刑、妻お弓、娘おつるはその後病死)これが十郎兵衛の本当の姿で、幕府の隠密政策の犠牲となり、外洋大名の徳島藩蜂須賀家25万7千石の礎石となったのです。館内には人形浄瑠璃で使われる木偶人形や資料などが展示されていて、地元保存会の手で上演される人形浄瑠璃は圧巻でした。

 次に浄瑠璃には欠かせない阿波木偶人形会館に行きました、浄瑠璃人形の総合展示や人形頭の製作課程説明、人形頭・カラクリの仕掛説明、テレビで人形芝居放映、世界一ジャンボかしら展示、木偶人形の販売・修理・修復など、木偶瑠璃人形の全を会館の主であり人形作の職人さんより詳しく人形についての説明を受け人形作の難しさと年期の必要さが解りました。

 土成町郷土資料館では 青石とステンレスを組み合わせたモダンな建物で、ここには旧石器時代から現在までの土成町の貴重な考古・歴史資料のほか、三木武夫氏の遺品等も保存、展示されていました、次に土柱見学です、阿波町北部の桜ノ岡にある天下の奇勝「阿波の土柱」は、世界的にも希少な特殊地形でした、100万年前の氷河時代に堆積した扇状地がその後隆起し、雨水の侵食作用を受けて形状された雄大な自然の芸術品としか言い様が無い素晴らしい眺めでした、尚この土柱は国の天然記念物です。

 次の訪れたのは今回の一番楽しみにしていた脇町のうだつの町並みです、ここは藩政時代に城下町として栄え南町には、瓦ぶき、塗り込め壁の重厚な表構えに「卯建」と呼ばれる火よけ壁をつけた古い家並みが並び、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されていて、昔の人々はこの町でどんな生活をしていたのかと思いにふけながら、町並みを抜けるとオデオン座が見えて来ました脇町劇場(オデオン座)は昭和9年(1934)に芝居小屋として建てられ、歌舞伎や浪曲などが催され、戦後は映画館になり、地域の憩いの場として親しまれました。間口が14.4m、奥行27m、2階建てで、花道、うずら座敷、太夫座等の設備が整っていました。舞台には直径約6mの回り舞台があり四国では愛媛県の内子座、香川県の琴平座に現在しています。その後映画の斜陽化と建物の老朽化により平成7年に閉館し、取り壊される予定でした。が、松竹映画「虹をつかむ男」(山田洋次監督)の舞台になり、一躍脚光を浴び、文化的価値が見直され、町指定文化財として平成11年5月に、昭和初期の創建時の姿に修復されました、素晴らしい町並みでした、皆さんも是非一度行ってみては如何ですか?

 後、時間が無くなり、お花大権現を廻り塾に向いました、今回の施設巡るで、感心させられた事は、塾生の視点の違いでした、私には何気ない建物、展示物等に関しても、イロイロな角度から、皆で議論している事でした、確かにイロイロな角度から物事を見てみると、今まで無い楽しみ方が有るものだと思いました、出来たら普段の生活の中で、物事をイロイロな角度で見る事が出来たら、今までと違う自分が発見出来るのではと思うと今回の旅は自分発見の旅でした。
平成17年6月12日
目次へ