第 95 号
徳島県鳴門市ドイツ館・バルトの楽園を訪ねて
 平成17年7月22日(土)に徳島県鳴門市大麻町にある「鳴門市ドイツ館」 と 「バルトの楽園(がくえん)」の映画ロケ村に出かけました。ドイツ館は俘虜であるドイツ兵と坂東に住む地域の人々との暖かい交流の史跡を紹介したものです。

 第一次世界大戦の折、参戦した日本軍はドイツの租借地であった中国の山東半島にある青島を攻撃しました。この時敗れたドイツ兵約5,000人が俘虜となり、日本各地の収容所に送られました。その内、徳島・丸亀・松山にいた約1,000人が、1917年から1920年の3年間鳴門市の坂東収容所で過ごしています。収容所と聞くとイメージされるのが、きつく苦しい労働と拷問ではないかと思いますが、ここ坂東収容所での俘虜の生活活動は実に多彩でありました。中でも音楽活動は非常に活発で、オーケストラや楽団・合唱団が定期的にコンサートを開くなどの記録が随所に資料から伺えます。日本で始めてベートーヴェンの交響曲第9番を全曲演奏したのが、このドイツ兵俘虜により結成されたオーケストラであった事実も恥ずかしながらこの時知りました。俘虜の活動は音楽だけに留まらず、スポーツ・講演・学習に及んでおります。当時の俘虜たちの生活を偲ばせる様々な物品が展示されていて、そうした中で地域の人々も進んだ文化や技術を取り入れようと交流が始まったのです。現在では1974年に鳴門市とドイツリューネブルク市との間に姉妹都市盟約が締結され、現在も互いに交流を深めているとのことです。

   

 色々な戦争の中で、何かしら俘虜に対する非人道的な歴史が多い中で、実にほのぼのとした人間味のある接し方であり、戦火の中でありながら国を超えた人間としての交流が、この徳島の地で芽生えたことに深い感銘を覚えました。

 ドイツ館から直ぐ隣に「バルトの楽園(がくえん)」の映画ロケ村があります。2005年11月から12月にかけて、主演である松平健さんらが訪れ、ロケをした映画村です。この映画セットが実によく出来ており、大正時代当時の近隣家屋や収容所内の建物が忠実に再現されていました。ほのぼのとした生活ではあったものの、やはり俘虜の部屋はお世辞にでも広いとは言えない空間でした。しかし、各々に読書や音楽を楽しんだ痕跡が大変よく伝わってきました。そこはあたかも大正時代にタイムスリップしたかのような場所でした。

 今回の偉人館めぐりでは、近代日本の歴史の一幕を垣間見ました。何かしら悲惨な戦争の歴史のなかで繰り広げられた、とても人間的な交流の1ページです。私たちも現在韓国にある機会の学塾との交流を進めていますが、互いに優れているところを認め合い吸収しあいながら、より良い交流を更に深めて行きたいと思いました。
平成18年7月22日
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