第 97 号
徳島へ
 7月22日、徳島県・鳴門市にある「ドイツ館」と映画「バルトの楽園」に使われたBANDO(坂東)ロケ村へ行きました。第1次世界大戦で最後まで戦ったドイツが敗れ(1918年11月に降伏)敗れたドイツ兵約5千人が俘虜となり、日本各地の収容所へ送られました。全国で12ヵ所ある収容所の内、四国の徳島・丸亀・松山にいた約千人が1917年から1920年までの約3年間を坂東俘虜収容所で過ごしました。この時の俘虜たちの生活がドイツ館やBANDOロケ村で再現されています。俘虜と聞くと敵軍に捕えられ、奴隷のように扱われるというのを想像しますが、この坂東収容所はそのような事がなかったようで、俘虜たちは音楽活動や運動・美術などを積極的に行い、収容所の生活を楽しんでいた様子が伺えました。
 ドイツ館では俘虜たちのオーケストラの演奏を人形を使ってステージで再現していたり、ホログラムで演劇や生活の様子が見えるようになっていたりして、俘虜たちがすぐ近くで生きているような感じを受け、再現技術の素晴らしさに感心しました。人形の俘虜が「音楽があったからこそ、ここでの生活があった」というような事を話していて、芸術というものは人の心を和ませ、安心感を与える、凄い力を持っているんだなぁ・・・と改めて思いました。私も落ち込んでいる時に、好きな音楽を聴いたり、写真集を見たりして、気分を安定させるので、芸術とは有難いものだと思います。またドイツ館では俘虜たちと坂東の人々との交流の様子も展示されていました。収容所の外から地元の人が俘虜たちの様子を伺っていた時、俘虜の一人が手を振ってみたら、振り返してくれた・・・という可愛らしい話があり、クスッと笑えました。地域の人々も俘虜たちを差別したりしないで、交流を持ち、俘虜たちの進んだ技術や文化を取り入れようと、牧畜・製菓・農業・建築・芸術などの指導を受けていたそうで、外国の文化が日本人にとって、魅力的で不思議なもので興味深かったんだなぁと思いました。坂東の人々は俘虜たちを「ドイツさん」と呼んで交流していたというのも可愛くて、暖かくて、良い関係だった事が伺え、素晴らしいと思いました。俘虜たちというと(先程も書きましたが)酷い扱いを受けたりすると思うのですが、この坂東収容所でそのような事がなかったのは、所長である松江豊寿氏の力のおかげです。映画・バルトの楽園で、松平健さんが演じられた人物です。映画を観ていたら、ドイツ館・ロケ村に行けば松江氏の事や生活の様子など、より理解できたと思いますが、残念ながら映画を観ていないので、資料からしかわからないのですが、松江氏は上から圧力をかけられても、ドイツ人俘虜たちは俘虜という立場であっても、人間的な生活が保障されるべきである、と主張し寛容な態度をとったそうです。俘虜たちはバーで楽しくお酒を飲んだりしていたようで、俘虜の立場でお酒が許されたという事にはとても驚きました。上からの圧力に臆する事なく、俘虜たちに人間的な生活をあたえるべきであると考えられた松江氏を私は尊敬します。俘虜たちを庇ったところで、自分に何か得があるわけではないし、上からさらに睨まれるだけなのに、それをやってしまえる松江氏は素晴らしい度胸の持ち主です。松江氏や地域の人々がドイツ俘虜たちからとても慕われていた事が、俘虜生活が終了してもドイツへ帰らずに数十人が地元に残ったという記録から解かり凄い事だと思いました。

 ロケ村を見学していると、部屋が狭く、共同生活でプライベートが確保されていない様子で、厳しいと感じる所があり、プライベートルームの有難さがわかりました。今回の訪問で怖がらずに人と関わる事で、学んだり、信頼が出来る事や、人の立場に立って物事を考える事、辛い時は何か心の支えを見つけて没頭する事などが学べました。映画かビデオになったら貸りて観て、新しい発見をしたり、見学した所を探したりしたいです。
平成18年7月22日
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