「思いやりの精神」

 日本の伝統精神を探求してみました。この日本の伝統精神と言えば、茶道・書道・剣道と挙げられますが、日本の伝統、日本人としての精神と言えば、私たち日本人は、他国の人の持っていない、「思いやりの精神」を、日本人には持っていると私は思っています。
 ⒊・⒒の地震の時にも列を作り其々の乗り物の順番を待っている事が海外でも、驚嘆の思いで伝えられた。
 私達にとっては当たり前の事だが、海外のメディアがこぞって取り上げるとゆう事は、私達にとって当たり前の事が諸外国では出来てない事でしょう。
 日本人が古来いから持っている遺伝子が誰に教えられる事なく秩序なく出来る。此れは世界に誇れる「思いやりの精神の一つだと思います」
 思いやりとは、人がしてほしいことをしてあげる事が、思いやりではない。思いやりとは、人がしてほしくない事を、しないのが、思いやりだと思います。
 他人がしてほし事を一度してあげると二度、三度と自分が出来る範囲でしてあげてしまいます、するのは、良いと思いますが、其の内、自分の許容範囲を超えて相手が望みます、出来ないと言ったら今までしてくれたじゃないかと、文句を言い出す、今までイロイロ、アドバイスとか物品で助けて貰って事を忘れ、必ず、ケチを付ける、私達にも心当たりは無いですか?
 本当の思いやりは相手が嫌がる事を言わない,しないのが相手の為に成るのではないでしょうか。
 自分で頑張る力を引き出す為にも、むやみやたらとアドバイスをしたり、物品を与えて甘やかす、気持ちを持たすのは如何な物でしょうか、其れよりも、自力で自分の人生の道を見つけ大きな志で歩んで貰う方が将来其の人の為に成ると思います。
 最近マスコミで報道されている、食品の冷蔵庫に入ったり、店の迷惑を顧みずくだらん事をして楽しんだり、線路に降りて写真を取って、今が楽しければ良いクダラン人を作り出し、結果、会社を首に成ったり、警察の世話に成る様な人を作り出したのも、周りの人達が、甘やかし、物を与え、個人が努力する事を忘れたせいでしょう、何故でしょうか?
 此の人達は自分の力で生きて無いからでしょう、甘やかした周りの人達も一端の責任が有るのでは、本当に相手を思いやるのなら、相手が嫌がる事を言わない,しないのが相手の為に成るのではないでしょうか。
 そうすれば人は其の時の状況に応じ考え、自分の力に応じた生き方が出来るし、此れからの自分の道を見つけ歩み出した時、満足した人生が送れと思います

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