松下幸之助氏の教えから=私心に囚われない


 故松下幸之助氏は成功する経営者と失敗する経営者の違いは「私心があるかないか」の違いであると言っています。 すなわち、会社を大きくしたいとか、大金持ちになりたいとか、あるいは、名声を得たいとかということは、自分の心から発する、私心である。 この私心に囚われた経営をすると、会社の繁栄はない。 よって、この私心を限りなく小さくしていく事が、栄光への近道であると語っています。
 塾生自身もこの私心に囚われない生活をして、家族・地域が良くなるようにと絶えず心がけています。

 松下幸之助が私心について、特に指導者たるべき人が心掛ける事を述べた一文があります。
 「一般に人間は、ともすれば自己中心に物事を考えやすい。 自分の得になるか、損になるかを判断の大きな基準にして、ことを運びやすい、それは一面人間の本姓でもあり、必ずしも悪いことだとは思わない、しかし、今日の様に人間関係が希薄な社会においては、一人だけの繁栄というものはあり得ないと思う。 だから、もし自分が繁栄したいと願うならば、他人も共に栄え、社会全体が繁栄してゆく事をあわせて願わなければならない」
 他人と共の繁栄には、多少の自己犠牲が伴います。 其れを乗り越えて普段の生活を充実させる事が大事ではないでしょうか?
 皆さんは普段の生活、仕事をする時に何%の公の心で行動をしていますか、私心を捨てると言っても、なかなか思うようになりません。 家族があれば、家族を食わしていかなくてはならないと考え、地位が多少なりとも上がってくれば、地位も失いたくないと考えるのは人の情けというものです。 しかし、それに囚われ過ぎると良い仕事はできない、経営者であれば、会社をおかしくしてしまう恐れがあると松下塾主は警告しています。
 また、人間誰しも夢は持ちたいと思うし、その夢によって、生きがいも感じる事ができます。 しかし、その夢もこの私心に囚われた夢であれば、その夢は単なる野望や野心ということになります。 しかし、この夢が、もし公のために何かを成し遂げたいということであれば、この夢は大なり小なり「志」といっても差支えない。 松下政経塾・四国政経塾では、創立以来この「志」という言葉を大切にしています。

第1番 霊山寺へ      目次へ      第3番 金泉寺へ