四 国 政 経 塾 香 川 講 演 会

 平成7年3月26日(月)・リーガホテルゼスト高松にて、四国政経塾香川講演会を開催し
 ました。松下政経塾副塾長 上甲晃先生をお迎えし、香川県の有志100余名が集い「地域
 から日本を変える〜四国への期待」をテーマに後援をして頂きました。また、上甲先生の後
 援の前には、松下政経塾第1期卒業生であり、衆
 議院議員でもある小野晋也氏に、故・松下幸之助
 の人生観・仕事観や松下政経塾時代の体験談につ
 いて、お話を頂きました。
 今稿は、その講演会の話の要点を取りまとめたも
 のです。

 まずは小野氏の話である。松下氏は、常に真剣に物事を考え、自分のもてる力を尽くし、知恵を尽くし、その結果生み出されたものを、皆さんに訴え続けた人であった様だ。経営の場を退いた後も、松下氏は、社会的な運動に全精力をかけ続け、94歳の人生で亡くなる最後まで、この社会のことを心配しながら仕事を続けた人であったという。
 小野氏が特に印象的に覚えている松下氏のエピソードであるが、松下政経塾での講話の中で世界一般の話をしているときに突然、松下氏が“君ら、観音さんて知ってるか”と、観音さんの話を出され、塾生がみんな唖然としたという話があった。松下氏は、何を考えて良いか分からずとまどっている塾生を尻目に、次の様に語ったという。“観音さんて、私はとても偉いと思う。本当ならば、天上界に行くことも出来るのに、この世の一切衆生を助けてしまうまでは、と。この社会の中を走り回って働いているのだそうだ”と。小野氏は、実はこの観音さんは、松下自信であったのではなかろうかと語っていた。
 松下氏の少年時代は、無い無い尽くしの人生であった。それをバネに、人間の心が複雑微妙で、千変万化の様相を呈し、また人情の機微さが大切だということを学び取っていた人である。
 さて、それではどんな問題意識の下に、松下政経塾が創始されたのであろうか。「建塾の精神」から、実例をあげながら話をされたが、それは、アーノルド・トインビーの「文明の移り変わり」の学説をも、よく似通っている。

1.歴史の必然性の中で、日本人はこの世界人類に対して果たすべき役割を果たさなければならない
 古代から中世、近代へと移り変わっていく地球文明を見れば、どうも文明というのは西から東へと移り変わっている(つまり中国→エーゲ海→ローマ→西ヨーロッパ→イギリス→アメリカ)。今日のアメリカ文明が衰えていけば、次の時代は、東アジアが中心になる時代であるはずだ。そう想定すれば、日本はその大きな使命に対し、毅然とした対応ができなければ、世界文明の発展を阻害してしまうのではないか。「その時の経済・政治事態に備えよ!」という問題意識が建塾の一点。

2.目の前の課題ですら解決できなければ、情けない。
 教育・経済・治安等の問題。その様々な問題をみるにつけて、企業経営の場なら当然こうすべきだと考えられるものが、社会問題に対しては、どうも解決の方法を誤っているようである。そういう問題に対して、もっと経済人の立場から経験をもとにして取り組みを進めていくならば、もっと合理的で無駄の少ない、皆さんの生活をもっと豊かにする効率の良い社会を築きあげていけるのではなかろうか。文明的視点において日本の果たすべき使命を果たすための準備を始めようではないか。具体的な個々の課題については、もっといい方法を使って解決していくことを考えようではないか。この問題がもう一点の建塾の問題意識である。

 PHP研究所発行の「松下幸之助の夢・2010年の日本」には、2番目に取り上げた具体的なビジョンが書かれている。松下氏自身が、21世紀を前にして、今日本に必要なのは、人を育てることと、日本・世界の将来ビジョンを描くことの2点であるという考え方には同感である。そして、「お互いがそれぞれの立場で自分の責任を強く自覚し、真の自主独立の精神に立った上で、他とも協力し、行動することが、それぞれの人の生きがいにも通じ、世界中を豊かにしていくのでは……」ということを、松下氏は常に考えおられた方である。
 最後に小野氏は、「非常に具体性を欠いた曖昧なお話を申し上げさせて頂きましたが、もし関心があり、共鳴して頂けるものを感じた方がおられましたら、我々に声をかけて下さい。そういった仲間を広げて、共に力を合わせつつ段々と立派なものを作りあげていきましょう」と語り、講演を終わる。
 続いて、松下政経塾常任理事・副塾長である上甲先生の講演である。まず、松下電器の社員であり、政治に全く経験・関心のない上甲先生が松下政経塾の仕事に任命された場面から話は始まった。上甲氏は、松下幸之助氏に、直接お断りの言葉を申し上げに行く。「私は、政治については、全くの素人です。まして政治家を育てるなんて出来ません。私のような素人にこの仕事は出来ません」と言うものの、松下さんの返事は、「君、素人か。そら、ええなあ」というものであった。上甲氏は驚嘆し、いぶかる。しかし、次のように悟った。私にとって、政治に対して素人というのは、事実である。それは間違いないとひとつの事実である。しかし、私にとっては、この事実ができないという理由でありマイナスの要因だが、松下氏は、その事実を、逆にプラスに考えた。経営者はまさにそうであるが、自分に与えられた条件を常にプラスに変える発想を持つ。物事がうまくいくかいかないかは、外部の色々な条件もあるが、その人の考え方次第である。うまくいくためには、自分に与えられた条件をプラスに考えることだ。なぜ素人がいいのか。具体的理由を松下氏は次の様に語ったという。
1. 「人間誰でも最初は素人である。」
2. 「今の日本の政治が本当に立派な姿であれば、それについて詳しく知るべきプロが良いだろう。しかし、日本の政治が良くないというなら、そんなプロにどれだけの値打ちがあるというのか。」
3. 「僕も素人や。君も素人や。そやけど今の政治をほっとけんわな。」
4. 「新しい政治、政治家を育てるのなら、プロよりもむしろ白紙の方がしやすい。」
 上甲先生は、上記の内容を松下氏から聞き、もう反論出来ないと、松下政経塾での第一歩を踏み出した。以来十余年「自分の原点は素人」を基本とし、今日に至っているという。
 上甲氏は、松下政経塾の入塾希望者に面接する時、以下のことを質問する。 
1. 親は政治家か。
2. 財産家か。
3. 支援者はいるのか。
4. 学歴は。
  答えは“NO”の人を期待している。
 これは世間一般の常識と逆である。なぜかといえば、世襲の政治家が多い日本の政治は、決して間違いとは言えないが、世襲でないと政治家になれないというのは間違いである。政治家は、有権者の鏡であり、政治を変えると言うのなら、有権者自身を変えなくてはならない。既成の仕組みの上に政治家になっても、それは逆に難しい。そして、本当の志というのは、“俺のことはいいから、もっと市民、国のことを考える”ことをいうのではなかろうか。まだまだ日本の我々の問題意識は、成熟した市民の意識というよりも、封建時代の意識を引き継いでいる。特に税金については、年貢を納めていた時代から変わっ  ていない。取られることにだけ真剣で、いったん納めた税金はお上にお任せ。本当の納税者は、「我々が賢明に働いた税金を無駄使いしたら許さんぞ」という形で、使われた方にも目が向けられてこそ、本当の納税者といえるのではないか。国民の主人公である我々自身のものの考え方が問われている時でもある。
 人間には、様々な資源がある。政経塾生には、金はないけれども若さがある。体力がある。理想もある。使って減る経営資源は使うな。使っても減らない経験資源である頭、知恵を使うべきだ。そしてもっと大事なのは『心』。お金を使わないといい会社にならないというのは錯覚であり、人は、お金以上に大事なものをいっぱい持っているものである。今まで大事だと言われてきたものが無ければ、逆にもっと別の資源に気がつくというものだ。
 上甲先生の話の途中、今、“志”を持って勉学に励まされている松下政経塾の第14期生の高橋利枝さんに、政経塾に入った理由と活動報告を簡単にしてもらう。
 高橋さんは、福祉の家で育ち、福祉現場以外から日本の福祉を変えられないかと思い、政経塾の門をたたく。松下氏には直接お話を聞くことは出来なかったが、先輩方のお話や書籍、ビデオ等により、間接的に教わる。入塾1年目は、「掃除もしっかり出来ないやつに日本をよくすることは出来ない。まず最初に自分の周りからきれいにしていけ」と言われ、掃除ばかりやらされ、2年目は『福祉問題』をテーマにドイツへ渡行し、現地現場主義、自習自得で、ドイツの社会福祉制度について 学ぶ。
 ドイツの生活の中で、ドイツの政治家は多種多様で、生活に身近な感覚を持つ人が政治家であったり、また有権者も、それぞれ当事者が、自分達の政治を作っていかねばならないという意思を強く持っていることに感心しました。法律を作成するにあたっても、省が作り、それをトップダウンではなく、有権者自身が政治を作っていることを理解し、実際に現場で働きながら、生活の中から政治についてきちんと考えていくことが大切だと感じた。
 最後に、「政経塾は、日本・世界をよくしたいという人たちが集まった。この政  経塾は政経塾生で成り立っている」と述べた。
 この高橋さんの話の後は、上甲氏の講演に戻り、そこからは、今どんな政治家が必要かと述べられた。
 日本は今までと同じ50年間の価値観で進んでいいのか。時代は変化し続けている。物質的に恵まれたが、これで良いのか。時代の変化を読み取れる人が必要ではないか。時代を読み取るには、人間の研究をしないと駄目である。地震は自然が動かしているが、バブル景気は人間の心が動かしたものである。我々日本人が、次の時代にどう生き、何を価値あるものとして求めるかを真剣に考えないといけない。新しい時代へ立ち向かう新しい理念が大切であり、先導している人々を、人類社会の中で互いに育てていかねばならない。上甲氏は、21世紀のキーワードは「いのち」と言われ、講演の幕を閉じた。
 上甲先生のお話は、とても考えさせられる、また心打たれる話であり、参加者は、“今日はとても良い話を聞けた”と、喜んで頂いた。ここで講演会を終え、午後9時から、別室に移り、中心的メンバー20数名の有志により、四国政経塾準備委員会を行った。この会合では、様々な意見や疑問点が出され、今後の四国政経塾の方向について活発な意見交換と質疑対応が為された。
 四国政経塾は、まだ現段階でははっきりした形が出来上がっている訳ではないが、この様な1つひとつの活動の積み上げと参加される皆さんの思いを集め、段々とその活動が広がってゆくものと思う。とにかく、“継続は力”であるから、地道に足元を固めつつ歩むことだと考えている。
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