韓国での学びを通じて
 私が四国政経塾の研修生として韓国釜山市の社団法人「機会の学塾」に身を置いて1年近くの月日が流れた。振り返れば早いもので、韓国で多くの人に出会い、日本ではなかなか経験できない体験もすることができた。

 最初に釜山に来た頃は、言葉もろくに分からなかったものの、目に映る全てのものが新鮮であった。私が釜山で生活を始めて何ヶ月経っても、毎日のように驚きや新しい発見が連続し、大変勉強になった。
 例えば、歩行中にふと道路標識を見ると日本とは違う標識であり「これはどういう意味だろう
?」「何でこんな形態にしたのか?」など色々な差異が想像力や知識欲を刺激する。道を歩くだけで勉強が可能なのだ。そして、そんな色あせない感動が持続する。それ自体、すでに衝撃的である。
 私にとって興味深かかった点は、韓国と日本の文化や言語
、習慣が驚くほど似通っていることだ。考えてみれば日本と韓国は地理的にも歴史的にも大変密接な関係なのだから、韓国と日本の文化が兄弟のように近いのも至極当然のことである。しかし、両国の間に存在する近くて遠い歴史の溝は、私も歴史を学ぶ人間として深く思慮しなければならない。
 釜山で出会う韓国人は以前オーストラリアで出会った韓国人たちと同じで、皆とても人情に厚く、前向きな姿勢を持っている。経済成長が止まり、暗中模索が続く日本と違って、釜山には温もりと活気が漂っていた。

 機会の学塾は毎週月曜と木曜の夜が授業となっており、毎回韓国国内の様々な業種、例えば大学関係者、医療関係者、芸術関係者、NPO関係者などが講師として招かれ約90分の講義をする。残念ながら私の語学力では到底理解できないレベルの講義ではあったが、それでも塾生たちは分け隔てなく私に対して親切にしてくださった。
 機会の学塾は講師陣もバライティに富んでいるが、塾生も多様で、公務員や技術職や介護関係者など職種の多様なれば、年齢層も多様だった(20代から60代までいる)。今にして思えば、学塾の授業より彼ら塾生との取り留めのない話のほうが活きた勉強になっていたような気がする。
 学塾の活動は授業だけに留まらず、バイタリティ溢れていて、思わず舌を巻いた。週末の野外奉仕活動や青少年育成の企画、国際的にも四国政経塾との交流以外にも、日韓ホームスティの促進、カンボジア支援やロシアとの学院との協定。多岐にわたり活動を続けており、私も手伝いながら感服した。

           

 1年間の就学を経て、私も独学ではあったものの日常の生活で困らないレベルの韓国語をマスターすることはできた。最初は文字から覚え、単語、文法と順々に勉強していったが、上記のとおりここでも日本と韓国の文化の類似性を感じた。日本語と韓国語は、発音はまったく異なるものの単語も語順も文法も非常に似ており、勉強すればするほどその深さに魅了された。語学というものは実に奥が深く、知れば知るほど能力それ自体は向上するが、理解度が進んでも特殊な用法や表現が次から次へと出てきて、何度も困ることがあった。しかし、それは新しい発見でもあった。
 私は、1年の間に釜山で多くの人との関係を作り、語学もある程度はできるようになった。問題はこれからである。積み上げた人脈や語学力をどう活かしていくかが肝心。経験を重ねてもそれをさび付かせてしまってはなんの価値もない。1年という期間を終えた今は、翻訳や相互の斡旋・折衝など四国政経塾と韓国の機会の学塾との連結・潤滑剤としての使命を可能な限り全うする所存である。

 最後に、私が韓国の機会の学塾研修に関わった全ての方々とそのご縁に感謝を。
平成22年10月8日
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