韓国・機会の学塾との交流を終えて

 6月24日から2泊3日で、韓国の機会の学塾の塾生が来日され、大和田塾頭の病気見舞いのために当政経塾へいらっしゃった。

 私は今回、初めての参加だったこともあり、正直戸惑った。あらかじめ大和田塾頭から、2、3のブリーフィングを受けたが、中でも印象的だったことは、韓国人は非常に勤勉であり、超学歴主義である、とおっしゃっていたことだった。だから私は、彼らに対して少し怖い印象を受けていた。
 しかしながら私の体験を言えば、去年まで東京に住んでいた時、コンビニのアルバイトはほとんど韓国人か中国人の青年だった。私のマンションの近くのコンビニでよく話しかけて来るのも、決まって韓国人だった。彼らの印象は非常に穏やかで、協調的且つ紳士だった。私は彼らが好きだった。しかし大和田塾頭の印象と私のそれは一致しなかった。私はいささか困った。

 当日、松山空港へ向かった。願わくば後者のような青年らが来日してくれまいかと心に念じてみたものの、何と、出迎えた彼らは青年ではなく、壮年以上の方々だった。私は戸惑った。しかし印象はさほど怖くはなかったが、よく見るとビジュアルは日本人と変わらなかった。接っして見ると精神文化も日本人と非常に近かった。
 それから私はテンションが上がった。私は時々、片言の英語で話しかけて見ようと思った。だが話かけるも余り通じなかった。以前東京で、欧米人に英語で道を教えて見たように上手くいかなかった。挙句の果てに日本語の堪能な先生と呼ばれる方から、日本語で言えと言われ、思わずおかしくなった。


 それからというもの、その先生から時々英語で質問をされることがあった。私は何とかそれらにお答えしてみるものの、英語力の弱いところは見抜かれた。先生は見かねて、あなたは英語の勉強をしに韓国へ来なさいとおっしゃった。


 有意義な交流も最後の時を迎えた。私は、松山空港で先生と塾生らにお礼を言い、別れを惜しんだ。すると帰り際に先生は釜山に来なさいとまたおしゃった。私は完全に参ってしまった。だが、うれしくも思えた。


 かつて松下幸之助塾主は、皆さんが政経塾へ来られた理由は、自己の完成を目指すこともあるのだろうが、私や政経塾は単なるそれでは満足しない。究極の目的である全人類の幸せということに挑戦して、達成して頂くことが目的である、とおっしゃっていたそうである。もっとも私に、世界を見据えた壮大な戦略など立てられるかどうか分からないが、世界もいいな、と思えた。今回の交流はより一層、自分が国際人であること、そして日本は堂々とグローバル社会の一員であることを想像させるに十分な体験だった。
平成28年6月27日
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