〜日韓国際交流=コンサートの感動と感謝〜
 夢の中にいるような4日間の韓国でした、機会の学塾の皆様の努力とお心遣いのお陰で、コンサートができ感動しました、7年前まで貧乏で食べる事も大変だった私が、こうして海外で歌えるなんて誰が想像したでしょう。
 空港から想像以上の歓迎に驚きました。横断幕や花束や日本でも無い歓迎に既に夢のような時間が始まりました、大勢の皆様がご多忙の中お時間を作り遠方より空港に迎えに来て下さり感謝致します。
 お食事もわざわざ風光明媚な夜景の美しい場所に設定くださり嬉しかったです。本場カルビは感激のおいしさでした、新鮮なお野菜も一緒に頂け、韓国の方のエネルギッシュな行動力の元はここにあると感じました。ホテルのお部屋もオーシャンビューの広いお部屋を取って下さり、静かで快適に過ごすことができました、また、コモドホテル様もご協賛、後援下さり横断幕を滞在期間中、ずっと掲げて下さっていました、ロビーにもカラーのポスターが掲示してあり大感激でした。
 実際のコンサートですが、ピアノは素晴らしく良いピアノでした。ピアノの音色は良く、美しくいていました。しかしホールが外観の新しさに比べ、ホール内が古い作りでした。まず客席の床が絨毯張りで飛んでいった音を吸収してしまいます、また反響版は組んで下さっていましたが、オーケストラが演奏専用のホールの為か反響版が後ろ過ぎ、反響の効果は下がりました。またベニヤを重ねたような、つい立のような反響版でしたので余り良い反響でなかったはずです、また上部に全く反響版が無く、上部の反響はほぼ無いに等しかったです、その為、舞台のヘリから随分奥に立たなければなりませんでした、またサイドの両側にも出入りの為のドアが無く、サイドから音が漏れました、響きや音に煩い演奏者、声の小さい方はこのホールは響かないので、使用し難いと思ったのと、多分30〜40年前に作られたホールかと思い、音響の方に聞いたら、やはり来年ホールを建て替えるとのことでしたので、仕方無いと納得しました。ですから、自身の声と強い喉に頼るしか無く、本当はも
っと声が反響し、響いた良い音と感動がお届けできるはずでしたがかなり残念でした。しかし反響版が、きちんとしたホ
ールの凹凸のある木目の反響版でなかったので真っ白な一枚板の反響版にハングルを投影できたので、今回は、その効果が上がったことで納得しています。もちろん機会を頂けたこと感謝しております、ただ専門家として、最大限の良い音楽をお送りしたいと願っていたので細かいのですが、反省点として書かせて頂きました。話よりも何よりも私にとっては、まず歌ありきですのでご了解下さいませ。パンフレットの内側のプロフィールの部分の写真は、私も顔写真をお送りしたはずですので、小林さんのように、顔写真にして頂きたかったです、学生の時の演奏の写真になっていて残念でした。せっかく豪華に作って下さるのですから、印刷前に一度だけでもデーターが拝見できれば嬉かったです。
 しかし日本ではあのようにカラーでチケット、2種のパンフレット、ポスターなどを作製しますと、ビックリするほど高くつきます。記念に美しいチケットも頂き、日本に持って帰りました。どなたがデザインして下さったのか最後まで分りませんでしたが美しい韓国らしいデザインをありがとうございました。Pang様も美香様も一生懸命通訳をして下さり、賢いお二人のお陰で、心配なくコンサートを終えました。Pang様は楽屋と舞台袖で、美香様は音響ミキサ
ー室で、心配し、いろいろと気遣って下さり、ありがたく涙がでそうでした。美香様随分日本人の考え方や行動を理解下さっているのがお話していて分りましたし、実際どういったニュアンスで伝わったのかは分りませんが間違いないと、信頼しています。卒塾生同窓会の会長様も一番にスタンディングオベーションをして下さり本当に嬉しかったです。日本はなかなか感情を表現しませんし、恥ずかしがる国民、またそういった習慣が無い為か、なかなか立ち上がって拍手はして頂けません。リハーサル後ロビーに行きましたら、ポスターをたくさん貼って下さったり、お茶のサービスの用意、パンフレット配布の準備などあれこれと御手伝い下さった方にも心から感謝致します。夕食のお弁当を手作りして下さった女性の方にも感謝します。コンサート終了後、ホテルで深夜小林さんとすっかり頂きました、本格家庭料理、身体にも良く、おいしかったです。
 しかし何より無名な私のコンサートに600名に近いあれだけの動員をかけて下さり感謝致します。クラシック離れが進む昨今、あれだけの皆様をご招待下さり申しわけないような気持ちでいっぱいでした。Son. Soon-Young様は、私の様な一般人は滅多に会えないような、大きな会社の社長様だと思うのに一日中、車を運転下さり、ショッピングモールに連れて行って下さり、お時間を頂き感謝致します。難しい日本語を一生懸命話そうとして下さり、ありがたかったです。何より最後の夜に携帯を失くした時、機会の学塾の事務所まですぐに戻って下さり遅くまで一緒に探して下さり申し訳なか
ったです、携帯が見つかってほっとしました、最後の最後まで良くして頂きました。
 他にも大勢の皆様が空港やお食事にお付き合い下さり、またご準備下さり、本当にお疲れにな
ったでしょう。ありがとうございます。毎回毎回、豪華なお食事もありがとうございました、出演料も頂きありがとうございました。今回は北朝鮮との不安な状況下でのコンサートでした。日本の友人は心配して韓国行きを止めましたが、私は何の心配もしていませんでした。いつも音楽の神様に嘘をつかず、誠実に生きていれば、必ず良い道へ導いて下さると信じているからです。30代の10年間、音楽で生きる為に歌の勉強しかできませんでした、他の人が楽しんでいる間も働いたり、歌の練習ばかりしていました、どうしても歌を歌って生活したかったのです。しかしクラシック音楽はお金がかかり、両親の助けの無い私は、大変困難でした。6年掛かって入学した音楽大学の学費も自分で払わなければならず、結婚も諦めました。釜山の舞台で歌いながらも、夢の中にいるようでした。心が震える感動でした。
 コンサートが終った時、日本でもなかなか起きないStanding ovationに、今までの苦労や悲しみが洗われました。ああ、今まで生きていて努力していて良かったなと思いました。
 私はこの5年間、平和コンサートをする上で多くの歴史の本、資料を多く読みました。広島の被爆者の方にも何人も話を聞きました、広島の平和公園内には韓国被爆者の方々の慰霊碑があります。韓国の方で被爆した方が、現在も保障が無く苦しむ方もニュースで見ました。日本人名を名のり、日本兵として亡くなった若い韓国人の方もいらっしゃいました。今回のコンサートで私の心の中は、昔、私達日本人が韓国の方々にしてしまったことへの懺悔、謝罪の気持ちを持って歌っていました。また先日の北朝鮮の砲撃により、犠牲になった2名の方の魂を思って歌いました。どうか韓国が平和でありますようにと祈りながら歌いました。だから亡くなった方の魂に届くように、鎮魂歌であるレクイエムからピエ・イエス(主よ、憐れみたまえ)やアヴェ・マリアを選曲したのです。韓国にカトリック教徒の方がこれほど多くいらっしゃると知らずに来ましたがこれも必然だったのだと感じております。広島県出身の私を選んで下さったことにも、深く感謝しています。今まで平和コンサートを行いながら、どの国の人も同じように魂が慰められるようにとの思いで歌い続けてきました。
 今回のコンサートで私が泣いたのは、祖母のことを思い出したのもありましたが、何よりこれほどまでに、歌を歌うこと以外に何も持っていない、つまらない私に、これほどまで良くして頂けることへの感謝の気持ちからでした。一曲、一曲歌い終わるごとに、このコンサートが終って行くことが残念でした。コンサートが終らなければいいのに、と何度も歌いながら願いました。もうこれ以上の幸せは無いので、この舞台で命が終っても良いと、本気で思い歌いました。歴史の苦難を乗り越えて、ここまで飛躍的に発展された韓国国家も素晴らしく、さらに日本と友好を結んで下さる皆様に感謝しています。
 YOO理事長様が記事に書いて下さった文章を大和田塾頭よりメールで転送頂きました。長い長い文章を読み感激致しました。理事長様の詩のように美しい文章は、一生の宝物です。YOO理事長様の最後に握手して頂いた手の暖かさや、かけて下さるお言葉の優しさがいつまでも心に残っております。今まで家の火事、祖母の死、貧乏やアルバイトばかりで体も心も疲れ果て、辛くてたくさん泣いてきました。しかし音楽の神様、マリア様は、ちゃんと見ていて下さって、私にYOO理事長様、機会の学塾の皆様や四国政経塾様など、心優しい方に出会わせて下さったのだと感じています。また日本にお越しの時は、必ず連絡下さいませ。歓迎致します。
 釜山が海の近くだったし、釜山の方は海が好きと聞いたので、ドレスは海の色、ブルーにしました。ブルーのドレスを着ると、いいことが必ず起こります。私のラッキーカラーになりました
、釜山では素晴らしいことばかり起こりました。皆様に会えたこと出会えたこと幸せでした。いつかまた、釜山でお目にかかりたいです。もし2012年に呼んで頂けるなら、精一杯努力し、もっともっとうまくなります。
 そしてまた機会の学塾の皆様、卒塾生の皆様、韓国の皆様に喜んで頂きたいです。どうぞ皆様のますますのご活躍、ご健康を日本からお祈りしております。
 両国の友好と平和、文化の発展、経済の発展をお祈りしております。
平成22年12月2日
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