真の人間
 四月十八日機会の学塾との勉強会で塾頭が講演した内容を全部では無いですが一部ですけど紹介したいと思います、私も聞かして頂いて、普段、当たり前の事が出来ているだろうかと、反省した一人です。
 あたりまえの事が今どれだけの人が出来ているだろうか、自分はあたりまえと思っていても、少し違う事が多いのでは無いだろうか、子供が親をウルサイ、ウットオシイと言って、殺してしまう、又、親が子供を邪魔だと言って殺してしまう、自分が今を良ければ良い楽しければ良いと思う気持ちがこうゆう行動を起こすのです、これがあたりまえだろうか、これは、極端な例ですが、今これに近い事が世界中で起こりつつあります、マザーテレサは世界の中で、一番あたりまえの事が出来た人だと思います、只、病気の人を慰め、心の病んでいる人を救い、人の命の大切さを訴え、自分の足で歩き行動をして来た。我々は身内が病気に成ると心配し、神に祈るが、病院で隣に入院している人を、自分の身内と同じ心配をするだろうか、テレサは人を見て身内とか他人とか区別無く、只、人間を見つめ続け生きる喜びを万民に死ぬまで与え続けた、私たちもテレサ程で無くとも、人の為にできる事が沢山有るはずです。皆さんは今日は此処で勉強しようと思って来ています、だから、人の話を聞くという気持ちで来ています、もし此処でなく、一般生活の中で此処に居る時と同じように、どんな人の話も聞けますか、聞いた話を受け入れる事が出来ますか?テレサはどんな時でもどのような人でも話しを聞き、悩みを聞いて慰め労わったのです。
 人間には差別は無いのです、只、貴方がたが、どんな人からも話を聞けないのなら、貴方がたの心の中に差別意識が有るからです、人の話を聞く大切さ、それは、自分の知らない世界を見る第一歩です、其の話に興味を持てば、又一つ勉強する意欲がわいて来ます、素直な気持ちを持ちつづければ、きっとどんな人の話を聞けるはずです。人はおうおうにして、肩書きとか地位に弱いものです、肩書きとか地位は其の人の、歩んだ道で有り、努力した結果です、世の中には肩書きが無くとも、素晴らしい人は沢山います、皆さんがそうかもしれません、何に対しても一生懸命努力し続けることが一番素晴らしい事だと思います、テレサは肩書きも無ければ、お金も無いのにただひたすらに、人間を見つめ其の人の心を癒しつづけました、其れにひかえ、肩書き、地位の有る人はかえって肩書きとか地位に縛られ行動が限られる事が往々にして有ると思います、皆さんもこれから、この世の中で学んだ事、見た事、経験した事をしっかり身に付け、知恵、知識を道具に、あたりまえの事が、あたりまえに出来る人に成る様、努力する事を願います。

講演の一部ですけど、反省させられる事が沢山有るのでは?
平成15年4月
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