韓国で学んだ「時代の移り変わり」そして「絆と継承」
 四国政経塾に入塾して以来とても心待ちにしていた韓国研修に行って来ました。移動を含めて2泊3日という短期間の韓国・機会の学塾訪問でしたが、学ぶことの多いとても有意義な研修となりました。

“BUSAN”
 韓国にある第二の都市BUSANを訪れてまず感じた事、それは今まで自分が思い描いていた「想像の韓国」と「現実の韓国」とのギャップです。
 韓国は日本に一番近い外国であり、先の韓流ブームでTVドラマや映画などを通して情報が豊富になった事もあって、少しは韓国の現状を分かっているつもりでいました。それでも“原色の伝統的な建築物と民族衣装の国”という印象が強く残っていて・・・極端ですが、例えるなら“日本の沖縄のようなところ?”といったイメージを長い間持ったままでした。
 しかし、空港を出て目に飛び込んできた風景は想像とは全く違うものでした。市内の中心部には近代的な高層ビル群が立ち並び、街の通りは活気に満ち人
々がごった返しています。複数斜線の広い道路ではたくさんの車が競い合うように走って、そのほとんどは韓国ブランドの自動車です。まさに経済成長の真只中といった印象を受け、驚きと同時に威圧感すら感じるほどでした。
 そんな近代化した街の中でも高層ビルの合間には小さな町工場や商店街がひっそりと残っていたり、中心街から少し離れた場所では叩き売りの露天販売店が、ひしめき合っている様子が昔のBUSANの街の姿を想像させてくれました。目の前で無包装の魚や食材、生活雑貨などが道端にずらりと並べられて売られているのに、振り返ればすぐ後ろで高層ビル群がそびえ立つ不思議な光景は、まるで昔ながらの生活を近代化の波がだんだんと飲み込んでいるようにも見えて“時代の変わり目”を見られたような・・・そんな気がしました。
 自分自身、今回の訪問で始めて実感したことなのですが、近い将来この国の生活水準は日本より高くなるのではないかと感じました。現在の韓国には、完成されて伸び悩む日本には無い未完成さがあます。それが、これからも発展を続けるであろうという「可能性」を感じさせるからかもしれません。日本に住んでいるとなかなか気づけませんでしたが、実際に韓国を訪問しアジアの諸国が急激に経済成長している様子を目の当たりにしたことで始めて、日本が経済大国と呼ばれていた時代の終わりを知ることが出来ました。

“文化の違い”
 今回の訪問では「異文化を通して今の自分自身を見つめ直すこと」を研修テーマの一つとして掲げていました。正直なところ、2泊3日という日程で異文化を十分に理解することは難しく、残念ながらこの研修テーマは“次回に続く・・・”という結果に終わってしまいました。せめて今回の訪問で学んだことを次回に活かす為にも、短い研修期間で垣間見ることが出来たいくつかの“文化の違い”を書き残しておこうと思います。
 まず韓国で見つけた文化の違いですが、日常生活において「極端だなぁ」と感じる事が多かった気がします。例えば、移動中の車の中から見えたいくつかの高層マンションの壁面。そこには、たぶん棟の番号でしょう・・・巨大な文字で“101”“102”“103”と書かれていました。韓国ではこういった大袈裟なほどの表現を目にすることは多く「デザインや外観はあまり気にしていないのだろうか?」と時々感じる程でしたが、見た目よりも分かり易さを追求した結果なのでしょう。
 他にも、韓国での食事は基本的に辛い物が多いのに(というより、個人的にはほとんどが、激辛料理だった気がします・・・)デザートは砂糖水を氷らせたようなとても甘いものでした。自動販売機のブラックコーヒーは真っ黒で飲めないほど苦く、逆に甘口は砂糖が溶けきらずに残るほど入っていたりしました。「ほどほど」といった概念は無いのかと思えるほどでしたが、それらが韓国の当たり前なのでしょう。
 一見すると、それらは驚くほどの事ではないようにも思えますが、生活に密着するこのような違いの中に“韓国の人々の価値観”が見えるのではないかと思います。
 安易な感想ではあるのですが「韓国の人々はシンプルで分かり易い表現や、ハッキリとした味や内容を好むのでは?」という印象を受けました。今の日本ではデザインや外観の完成度を追求し、あいまいな表現やごまかしで相互の「バランス」を取ることを重要視し過ぎて、本当に大切な部分が見えなくなっていることがよくあります。反対に韓国は実用性と分かり易さを重要視して「本質」を追求しているようにも思えました。今の日本人とは対照的な国民性なのかもしれない・・・と感じました。
 そんな違いをいくつか見つけるうちに、現代の日本人文化に浸っている自分は「ほどほど」が当たり前になっていることに気付き「極端である」という事が斬新で面白いとさえ感じました。

“機会の学塾”
韓国訪問以前から“機会の学塾”という機関自体BUSANで公的に認められた塾であり、入塾することは難しく塾生のみなさんはそれぞれ社会的な地位を確立している存在感を持った方々ばかりの集まりだと聞いていました。姉妹塾である四国政経塾の一員とはいえ、入塾して間もない自分がそこで勉強会をするということに、自分自身かなり身構えていたのですが・・・実際にはとても穏やかな雰囲気での勉強会だったように思います。何より機会の学塾の皆さんが、もちろん真剣な態度で勉強会をしているにもかかわらず“堅苦しい雰囲気”をまったく感じさせないほどのびのびとしていることに驚きました。一人一人が「自分自身の意思で学んでいる」という意識が言葉の壁を越えて伝わってきたように思えました。塾生の皆さんの“勉強は誰かにさせられる強制作業ではなく、自分を高める為に自らがするものだ”という姿勢が「学ぶ」ということに対する根本的な意味を思い出させてくれました。

       

 今回の機会の学塾との交流の間は何名かの通訳の方が交代で同行してくれていましたが、自分自身が機会の学塾・塾生の皆さんと意見交換できる機会は少なく、言葉の違いという壁が予想以上に大きかったこともあり、満足のいく意見交換ができなかったことが正直なところとても残念でした。会話での十分な交流は出来ませんでしたが、勉強会で、皆さんの「学ぶ姿勢」を通して教えられた大切なことをこれからの自分の活動に生かして行きたいと思います。また、今後の課題として、通訳の方に頼るのではなく自分自身でコミュニケーションがとれるようになるため韓国語を少しずつ勉強していこうと思います。
 そして同時に、これから両塾が意義のある交流を続けていくためには言葉の壁に負けないくらいの強い絆が必要となることも実感できました。その絆を創っていくためにも、今回出会えた機会の学塾生の方々と、「塾」という枠にとらわれない個人レベルの交流を積極的に行い、友情や信頼を築いていきたいと思います。
        

 今回の韓国訪問で一番の目的であった韓国・機会の学塾との交流は、自分の人生にとってかけがえの無い経験と出会いを与えてくれたと思います。
 四国政経塾の塾生という肩書きを持っているだけ自分が、韓国滞在中の間、ずっと暖かい歓迎をしてもらえたことに大和田塾頭とYOO塾主が築き上げてきた信頼と絆の深さを知りました。そして、今日の両塾の交流が大和田塾頭とYOO塾主の強い絆の元に成り立っていることを強く感じ、自分自身がその絆を継承していく一員なのだと、その責任の重さと重要性を実感させられる交流となりました。YOO塾主をはじめ機会の学塾生の皆さんとの出会いを通し、今まで見えていなかった新しい将来が広がっていく期待感を頂けたことに感謝しています。
 今回の韓国訪問を通して何よりも勉強になったこと、それは、国境を越えて言葉も文化も違う場所にいても、人と人を繋ぐのは信頼という「絆」だということ、そして長い時間と信頼の上に築いてきた絆を「継承」していくことが、いかに困難でどれだけ大切なのかを実感できたことだと思います。
          
平成19年2月25日
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