上甲晃先生「21世紀は生命(田舎)の時代」を聞いて

 先日、10月2日、新宮中央公民館において、上甲晃先生の講演を聞く機会があった。以前にも、四国政経塾立ち上げのときに四国四県を順番に講演していただいた際に、聞かせていただき、とてもわかりやすく勉強になったので楽しみにしていた。講演は、P.M.8時より始まり、約70人ほどの人が集まった。始めに村長より「演題が、我が村に添った内容であり、期待して聞かせてもらう。これからは田舎の時代である。」と言う旨の内容のあいさつがあった。引き続き、プロフィール紹介後講演に移った。
 上甲先生は、まず、当日行かれた宇和島から卯の町、松山にかけて、同氏「上甲」という姓が多く、自分自身となんらかの関係があるのではないかと思い、遺伝子がさわぐと会場をなごませてから始まった。それから、現在の政治への話しに移り、今の政治家は、本当の政治活動ができない状態にある。それは、就職や陳情事など、個人の面倒見が多くてとても時間がないからであり、本当の政治とは、国民が主人公であり、国民自体が変わらないと政治も変わらないと辛口のコメントをした。そして、そのために、上甲先生は、自分のことはいいから全体のことを考えてくださいと言う志を広げるために、志ネットワークを目標にし、その志を持った青年に未来を託したいと青年塾設立の経緯を話された。青年塾の塾生募集時には、学歴は一切記入しない、人間は人間であるかぎり、一切平等であるという、故松下幸之助氏の意志を受け継いで活動を行っている。その後、青年塾の入塾式を行ったあけち町やセミナーで使用したせや町の話しをされた。あけち町は、寒天の名産地であるが、過疎化が進み、JR線も赤字路線になり廃止されるほどの田舎だったそうだ。それまで観光客など一人もこなかった町を現在50万人にまでふくれ上がらせたのは、この町の古さを生かした日本大正村(町全体が大正村になっている)であり、徹底して古いものを使う、人間も古い人(60才以上の人)が運営する、老人ホームに当てる資金があるならすべて大正村に使ったからだという。これは、老人たちが死ぬまで何かやりたい、何かの役に立ちたいというパワーと、田舎だから心のつながりがうまくいきこれほどまでにできたのである。また、瀬谷町では、休校の校舎を使い、セミナーを行ったそうだ。10年以上つかつていなかったため、かなり汚れていたようだが、塾生たちが2日間かけてきれいに磨き上げ、立派な会場になった。それは、設備的なものによるのではなく、自分たちが実際に行動して作り上げた会場だからこそ、その充実感や愛着などが湧き、自己満足と相互満足による相乗効果によるものだと思う。お金を出せばいくらでも良い会場は見つかるが、便利としやわせとは違う。たとえば、お金がなくても知恵を使うことにより、それ以上のものができる。言わば、各個人をとりまいている、知識や技術、学歴や役職、財産と言ったものは一種の道具であり、それを使う人間が重要なのである。知識ではなく知恵のエリートを育てて行きたいと話した。実際に、北海道の家庭学校(少年院みたいなところ)では、流汗悟道を行っている。午前中は知識の教育を行い、午後は学校で必要なもの(机や椅子など)をすべて作る。それにより、知恵の教育を行い、現在では壊すことはもちろん落書きすらしないようになっている。また、牛の難産に立ち合った子供たちの中には、子牛が生まれた後一斉に泣き出し、その後作文に、自分の母親も、痛くて、大変で辛い思いをして生んでくれたのに、反抗したり暴力をふるったりした自分が情けないと記している。また、高齢化社会問題を取り上げている塾生は、知識の勉強を一切せず、日本全国の老人ホームへ実際に行って体験している。その老人ホームがどんなに立派な設備を揃えていても、別れのあいさつをすると、決まって「私も連れて帰って」と言うそうである。実際に行動して体験するということは、知識を教わることよりも何十倍も何百倍も勉強になり、また、その体験により、人とのふれあいができ自分が行った行動に対しての自信になるのである。そして、他人への思いやりや感謝の気持ちが深くなり、優しさを持つことができるのである。故松下幸之助の発言集の中に、「この世に無駄な人は一人もいない」という言葉がある。悪人がいるから善人が光るのだという。インディアンは、何かあったときに、長老に聞きに行くことにより、その人の立場をつくっている。前述の老人ホームの人も、家族と一緒にいたい、役に立ちたいと思っているのである。本当の老人福祉とは、老人ホームなどの施設をつくることではなく、その人が死ぬまで人の役に立つことができる場を、つくってあげることなのである。老人たちがその欲望を持ち続けることによって、未来は変わって行くだろう。未来は、どんな偉い人がどんな良いコンピュータを使っても当たらないだろう。それは、すべての人にとって、未来は白紙であり、その人たちの欲望によって未来も社会も変わって行くからだ。戦後の物欲の時代が終わり、将来は生命の危機に面するだろう。今の環境を考えると、空気や水、食物などは当然都会より田舎が良く、産業も一次的に命を守る第一次産業が重要になってくる。観光資源も、物を育てる観光が中心になってくるだろう。いずれにせよ、すべての改革の源は自分自身であり、妨害するのも自分自身である。他人を変えることは難しく、他人を受け入れられる自分になるように変わらなければならない。と締めくくり、講演を終えた。 私は、この講演を聞いてまだまだ自分の視野の狭さと勉強不足、経験不足を思い知らされた。自分自身、四国政経塾の事務局に在籍し、現在託老所について活動を行っている。上甲先生のおっしゃるように、老人の生きがいや役に立ちたいという気持ちに答えられるような、どちらかと言えば井戸端会議を拡大したような形からはじめたいと思っている。しかし、日本大正村の話しを聞いて、本当にそれでいいのだろうか?もっと伸び伸びとしたものにしなければならない、自分の考えていることは、あまりに小さいものなのだと痛感した。しかし、根本的には同じ内容であり、内心ホットした部分もあった。いずれにせよ、自分自身がもっと行動し、いろいろな人の意見を聞きいろいろな体験をすることをしなければならないと感じた。そして、それにより自分自身を高め、社会の役に立てる人間になりたいと思った。四国政経塾では、観光問題や町並み問題、商店街活性化問題などいろいろな問題について個人個人で活動を行っているが、それらの問題についても、実際に自分の足で動いて本当の根っ子の部分から問題をつかんで解決していく必要があると思う。そして、私たちの回りの人々と一緒に少しでも住みやすい地域、将来の夢が語れる社会、国民の声が本当に繁栄される政治を目指して行きたい。
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